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―――僧侶、アーティスト、研究者の三足の草鞋を履くに至るまでの過程とは―――

ゲストプロフィール
中山 雅紀(ナカヤマ マサノリ)※ 僧名:マサキ
千葉県市川市市川出身。自営の幼稚園、地元の小学校を卒業し、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校に進学する。その後、慶應義塾大学/大学院で、CGの研究に没頭し、修士号を取得する。現在は家業のお寺を継ぎ、住職を勤める傍ら、アーティスト活動や、CGアート制作のための研究を行っている。

CG屏風『漸花式~recurrence flowers~』
独自のアルゴリズムによって可視化された、超高繊細50Kのマンデルブロート集合。
―――幼稚園時代について教えてください

幼稚園生のころ。お客さんの車のエンジンの点検中。
幼稚園の頃は、実家のお寺の境内で祖父が園長を務める幼稚園に通っていました。両親は文系だったのですが、私はなぜか理系少年に育ちました。幼い時から、車を見るとボンネットを開いてエンジンをチェックするほどの機械好きでした。
―――小学校時代について教えてください

自分の部屋は研究室
小学校は地元の私立の日出学園小学校に通っていました。小学生になると電子回路が好きになり、秋葉原の部品街をよく訪れました。自分でハンダ付けした電子回路の基板も100枚以上ありますし、高電圧の実験で絨毯を焼いたこともありました(笑)。東京ディズニーランドに行った時でさえ、水車の歯車を何時間も飽きずに見ていたほどです。電子回路だけでなく、植物にも興味があり、食虫植物を栽培したり、タンポポの試験管培養に挑戦したこともありました。学校の友達にも「博士」と呼ばれたり、自分でもこのころは電子工学系の博士になりたいなと考えていました。静電気を1万ボルトぐらい溜められる小型“ライデン瓶”を学校で流行らせたのは申し訳なかった。逆に、ゲームやアニメは全く知りませんでした。今思えばよくやって来られたなと思いますが、友人にも釣り好きなどの個性的な人がいて、周りに恵まれていたのかもしれませんね。父親も、家業を継ぎなさいと言う感じではなく、個性を伸ばしてくれる方針でした。お坊さんだと仏教学部のある大学に行くのが一般的ですが、父親が「お坊さんらしいお坊さん(妄信的なお坊さん)」が嫌いだったので、世間を見た上で、お坊さんを選ぶのか、他の道を決めてほしいという教育方針でした。

秋葉原の部品街でお世話になっていたお店。

科学クラブで「センサー」について発表。
ーーー中学時代について教えてください

初めて買ってもらったパソコン「PC-9821」
中学校は、受験をして慶應中等部に進学しました。両親は、ガリ勉させるようなタイプではありませんでしたが、公立よりは独自の校風のある私立に行ったらいいのではないかということで、塾に通い、受験をしました。理系科目はよくできたのですが、文系科目は苦手で、大手ではなく、個人の苦手なところを伸ばしてくれる個人塾に行っていました。
当時としては先進的でしたが、中等部ではプログラミングの授業があり、それで初めて自宅にパソコンを買ってもらったのが、僕の研究人生の始まりです。しかも数学の感想文の課題で「フラクタルとは何か」という本を読んだことを切っ掛けに、コンピューターで絵(グラフィックス)を描くこと、つまりCGの面白さを知り、プログラミングに没頭していきます。さらにこの頃、河口洋一郎先生という、現在は東京大学の名誉教授で、CGでアートを創り出した先駆者ともいえる先生に魅せられました。それまでは、幾何学的な図形を描くのみでしたが、自己進化する人工生命のシミュレーションなど、CGには多様な表現の可能性があることを知りました。
部活は化学クラブに入りながらも、化学は苦手だったので、リニアモーターカーの模型を作成していました。

リニアモーターカーの模型を説明をしている様子。
中等部では運動部への参加も義務なのですが、チーム競技は苦手だったので、個人競技の弓術部を選びました。オリンピックにも出場経験のある高柳憲昭先生という方が、当時の部活の顧問でした。先生の下で、東京都中学校弓道大会にて団体優勝をし、個人でも銀メダルを獲得しました。

東京都中学校弓道大会にて団体優勝
ーーー高校時代について教えてください

文化祭での化学研究会の活動。
高校は慶應義塾高校に進学し、化学研究会に入っていました。教室内でテルミット反応の実験をしたのは、申し訳なかった。
高校で習った数学の知識も相まって、CGのプログラミングでは、より数理的な美を求めるようになっていきます。弓道は、もともとスポ根がない性分なので、周りがインターハイを目指し始める高校で辞めてしまいました。
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プログラミング言語「Visual Basic」で描いたマンデルブロート集合。

文化祭でのCGの展示(右は当時の父)。
ーーー大学時代について教えてください

博士課程時代には、文化庁メディア芸術祭で最優秀賞を取り、六本木の新国立美術館に作品が展示される。
大学時代はKCS(慶應電子計算機研究会)というパソコンのクラブに入っていました。放課後は部室でだべったり、家でプログラミングをしたりしていました。CGをコンテストに応募し始めたのもこの時期です。3年の終わりには理工学部情報工学科のCGの研究室、大野義夫研究室に入りました。4年生では研究する時間はほとんどなかったので、研究を続けたいと思い、修士に進学しました。お寺を継ごうと思っていて、就職する気はなく、時間もあったため博士課程にも進学しました。ただ、論文を書くことより、アート作品として実装したり、エンジニア界隈での活動にかまけてしまい、と同時に実家の手伝いも忙しくなってしまったので、、博士号は取得できずに単位取得退学をしました。研究室の同期は、ゲーム会社に就職する人が多かったです。
―――大学卒業後の進路を教えてください。

清澄寺での得度。
収入面など、生活の重きは僧侶においています。家業を継ごうと思った理由は、自分がそれまでやってきた哲学も学問もアートも、「新しい視点を得る」という点などで、仏教と共通しているためです。お寺を継ぐという点に疑問はありませんでした。また、仏教には、宇宙や生命などの起源を「創造主なる神」に求める「創造論」がありません。お釈迦様も人間であり、自分の考えに偏らず解脱をしなさいという教えを説く哲学者です。科学とバッティングしないので、自分の中で両立できました。人は執着してしまうと、それがすべてになってしまい、周りが見えなくなってしまいます。そこからどう解脱するかが仏教であり、それは社会問題や科学、アートなどすべてにいえることだと思います。既存の事実に固執していると、新しい発想は出来ないですよね。イノベーションには視野の広さが重要だと思います。お坊さんになり家業を継ぐことに決めると、清澄寺(千葉県鴨川市)という、日蓮上人が修業をしたお寺で得度式(お坊さんになるという宣言)を行いました。
その後、読経のテストや宗教学などの座学を経て、最終的に、日蓮宗の総本山である身延山久遠寺(山梨県)の道場で、朝4時に起きて水をかぶるなど、35日の修行「信行道場」を終了すると、正規のお坊さんとしての免許がもらえます。

信行道場の卒業式。
研究者という面では、自分自身も博士号取得を目指して、今も論文を書いています。また、さらに慶應義塾大学の藤代一成研究室でフェローとして、新人教育、卒業研究の相談に乗るなどしています。やはり研究室にオタクの子は多いです。昔は、パソコンを組み立てるなど、ガチ系のオタクが多かったですが、今は漫画を描いたり、音楽を作曲したり、、クリエーター系のオタクが多いですね。そういった学生さんたちにどうやってプログラミング教育をしたらいいか模索しています。
アーティストとしては、自分の作品を作り、発信しています。先ほどもお話したCGアートの大家・河口洋一郎先生のお手伝いをしたり、自分でもデジタルアートを扱う会社「LUXOPHIA」を設立したりもしました。また、3Dプリンターを使った作品作りも始めました。バーチャルであることのむなしさを少し感じ始め、現実に出力して作品を作ろうと思ったからです。

国際デジタルモデリングコンテスト「ADMC 2017」で最優秀賞を受賞した作品。
また、今になっては、歴史や社会学、経済、哲学を知らないと全く社会を語れないことに気付き、文系の科目も社会人になってから勉強し始めました。
ーーー今後どのような人生を送りたいですか
まず、アーティストとして名を成したいです。僕は所詮CGで遊んでいるだけ…と考えていましたが、今や総アーティスト時代。アーティストとして、作品を作り、対外的に発信していきたいです。
また、自分のお寺をにぎやかにしたいと考えています。自然に囲まれたお寺の空間を使って、勉強会ができる寺子屋をつくりたいですね。バーチャルでは伝わらない空気の機微もあると思うので、そうしたコミュニティ作りに貢献したいです。お寺はお葬式の場と捉えられがちですが、本来お寺はお葬式のためだけの場所ではありません。学ぶ場所でもあると思うので、いろんな世界があることを知ることが出来る場所を作りたいと考えています。
ーーーやってよかったことはありますか
4年生の研究は失敗してもいい環境で、成果の有無の可能性に関係なく、自由に研究させてもらえたことは良かったと思います。
ーーーやっておけばよかったことはありますか
哲学や歴史の勉強、アートの対外的な発信をしておけばよかったなと思います。
また、大学をもっと利用するべきだったと思います。あんなにコンテンツがあり、教授と話せる機会がある大学は貴重だと思います。
ーーー読者に向けてアドバイスをお願いします
選択肢がないように見えて、実はたくさんの選択肢があるということは伝えたいですね。興味のないものに、ちょっと手を出してみたり、やろうか迷っているくらいなら、躊躇せずにやってみたりしてほしいと思います。また、コミュニティやセミナーなどに参加して、世界を広げる、さらに外部への発表もどんどんすると良いと思います。家に引きこもっていると、生活が惰性になってしまうので、環境を思い切って変えることは、心理衛生的に良いのではないかと最近考えています。
ーーー中山さんにとって大学とは?
結果が求められるのではなく、過程が重視される場所だと思います。社会では課題解決などの結果が重視され、過程を重要視しない傾向にあります。しかし、私は結果より過程が重要だと考えています。例えば、ピカソと同じような絵を今誰でも書くことができるかもしれませんが、歴史の流れの中であの時代にキュビズムを生み出した人物こそがピカソであり、だからこそ歴史的に重要な画家ですよね。大学は、手に職をつけたり、役に立つことを学んだりする場所ではありません。視野を広げる場所だと思います。無駄だと思っていることは、今のあなたの知性水準で無駄だと思っているだけであり、何年後かには役立っているかもしれません。ですので、一見無駄に見えることであっても、どんどん吸収してほしいと思います。学びたいことが、「役に立つこと」である必要はないと思います。出口ありきじゃなくて、自分の興味の本質はどこかを見つめてほしいです。また、学歴などの権威には何の価値もなく、あなたが何をしてきたか、過程が大事だとおもいます。
ーーー最後に、中山さんにとって人生とは?
自分の執着を連続して解脱していく過程だと思います。恋も愛も執着で、僕がCGをやっているのも執着です。自分の執着は愛しつつも、自分の執着がすべてだと思わないことが重要です。自分の執着を自認しているかどうかが、解脱しているか否かの違いだと考えています。しかも一足飛びに仏にはなれません。何度も莫迦な自分に気付いて何度も更生していく。自分の世界しか知らないというのではなく、多様な生き方があるということを知っていることが大事だと思います。
皆さんはこの記事を読んでどう感じましたか?
僧侶、アーティスト、研究者をしている中山さんだからこその視野の広さ、考え方に感銘を受けました。これから社会人になり、結果が重視される社会に身を置くことになるかもしれませんが、「一見無駄なことに見えるものの大切さ」は忘れずにいたいですね。
中山さんのお寺や数理美術研究所のSNSも是非覗いて見てください。
▼ 中山雅紀
・Mail:contact@luxidea.net
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▼ 玉泉山 安国院〜哲学するお寺〜
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▼ LUXOPHIA〜数理美術研究所〜
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