スポンサーリンク
ーーー不登校児が教員になって感じた限界、自分に合った生き方。ーーー

ゲストプロフィール
三浦康平(ミウラ コウヘイ)
秋田県出身。小学校低学年のころ、繊細な性格から気疲れしてしまうことが多く、学校が嫌になり、不登校になる。ところが小学6年生のころに出会った担任の先生に憧れ、教員の道を志すようになる。中学高校ともに地元の公立高校に進学し、2年間の浪人を経て秋田大学教育学部に進学。卒業後は秋田の私立の女子高校に赴任。順調にキャリアを重ねていたが、一時的に公立高校に赴任すると、そこの教育方針に適応できず、挫折。その後いくつかの高校に転勤するも偏差値重視の教育に疑問を抱き、教員を辞めて自分一人でできる仕事を始めようと決意。現在は自身が不登校だった経験を活かし不登校の子どもの家庭教師、不登校の親向けの相談等を運営している。
ーーー幼少期のことを教えてください。

秋田県で生まれ育ちました。小さなころはおとなしく、引っ込み思案な性格だったと思います。小学一年生のころからなんとなく学校に行くことが嫌になり、休むことが多くなりました。しかし当時は「不登校」という概念は存在せず、学校を休むのは「ダメなこと」であるという考えが強かったため、先生がクラスメイト全員を連れて自宅まで押しかけてきたこともありました。今でこそHSP(繊細な気質)という言葉は広く知られていますが、私は当時からHSPだったのではないかと思っています。小学5年のころ、ある友人がいじめられていたのですが、自分は本人でもないのに感情移入し、とてもつらくなってしまったのです。そのほかにも先生から怒られてビンタされたことも鮮明に記憶に残っています。日常のあらゆる場面で感情が動き、疲れてしまい、ついに2か月ほど本格的に不登校になりました。もうダメかもと思いましたが無理やり学校に通ってなんとか復活することができました。
しかし6年生の時に転機が訪れます。それは担任の先生との出会いでした。ある日の算数の授業で私は先生から指名され、問題の解き方を解説することになったのですが、そこでその先生は私の解説をみんなの前で褒めてくれたのです。単純に褒めてくれたことがうれしかったし、この成功体験で自分は教えるのが得意なのかもしれないと思い、将来は学校の先生になろうと考えるようになりました。
ーーー中高時代のことを教えてください。

柔道に打ち込めたのは、三浦さんにとって救いだった
中学校は地元の公立学校に進学しました。ヤンキーが多い学校でビビりながら登校していました。部活動で柔道をやり始めたのですが、体が大きかったこともあり市の大会で優勝するレベルにまで強くなることができました。中学3年間の中でも部活動が最も充実していたし、1つのことに打ち込むことができたのは精神的にも安定を与えてくれました。
しかし不登校が完全に克服することはありませんでした。不思議に思われるかもしれませんが、私の不登校の原因はいじめを受けたり、人間関係で悩んでいたり、勉強ができなかったりといったものではないんです。ただ、疲れてしまうんです。人と話すことは嫌いではないのですが、普通の人よりもいろんなことに気を遣ってしまうんですよね。また、人が傷ついている状況をみるのも精神的に参ってしまいました。友達が先輩からカツアゲされて、暴力を振るわれているのを見た時も苦しかったですね。ですから月に数回程度学校を休んでいました。
高校は地元のそこそこの進学校だった秋田中央高校に進学しました。部活動で何か新しいことを始めようと思って、ちょうど勧誘を受けていたラグビー部に入部しました。しかしスパイクとジャージまで新調したのにもかかわらず、入部して間もなく辞めてしまいました。そこで何か頑張らなくてはと思い、当時大学の教育学部への進学を考えていたので、勉強に励むことにしました。すると夏休み明けの試験では数学で満点を取ることができました。でもその後も勉強を一生懸命やったわけではありませんでした(笑)。僕の人生は「やめて、はじめて」のサイクルがとても速いように思います。
ーーー大学時代のことを教えてください。
実は私、大学受験は2浪したんです。現役での大学受験後に改めて自分が行きたい大学について考えたところ、地元を離れて東京に行きたいと思うようになったんです。そこで目標を早稲田大学に定めました。しかし2浪しても合格することはできず、2浪目に父親が無理やり願書を出した秋田大学教育学部の後期試験に合格したので、渋々そこに進学することにしました。
スポンサーリンク
とはいえ入学すると楽しいものでした。みんなが先生になりたいという共通の目標を掲げて切磋琢磨する日々は充実していました。2浪していたので年下の同級生となじめるか不安でしたが、今でも付き合いのある友人もできました。特に仲良かった3人は詩を書くのが得意だったり、音楽に精通していたり、漫画を描いていたりとクリエイティブな個性を持っており、いい刺激を受けました。
またアルバイトで家庭教師をやったのはいい経験でしたね。生徒の調子には波があり、成績が上がる時もあれば、あまり振るわず不機嫌になる時もありましたが、それらをひっくるめて、人に何かを教えることの楽しさを再確認しました。
ーーー教員生活のスタート、その後のキャリアはどのようなものでしたか?

女子校での授業風景
大学の教授のあっせんを受けて、秋田の私立の女子高校に初赴任しました。当初は分からないことだらけで、先輩からはもっと自己主張や意見をいうように叱られたし、授業でも人の目線があまり得意ではなかったのでおろおろしたりしてしまう日々でした。しかし結局は時間と経験ですね。次第に慣れていき、自信もついてきました。
6年目になる時に、県の私立公立交換制度で一時的に公立の進学校に赴任しました。ですがそこで私は適応障害に陥ってしまいました。進学校ということもあり、以前の女子校とはがらりと変わって学力・偏差値重視の教育だったのです。職員たちのこうした姿勢になじめず、一時は授業をすることができなくなりました。そこで一時的に教員を退職してアルバイト生活を始めました。引っ越しのアルバイトをしたのですが、頑張った分だけお金がもらえることの公平感や汗水たらして働くことの満足感は教員をしていては味わえないものだったので新鮮でした。
ずっとアルバイトを続けることも現実的ではなかったので、もう一度高校に戻ろうと思い、公立高校の講師として働き始めました。そこはいわゆる学力底辺校といった感じで、ヤンキーも多い学校でした。しかし彼らに対しても、根気強く心を開いて接すれば、次第に相手も心を開いてくれるようになりました。私は教科指導よりも、生徒と心を通じてふれあい、彼らの人間的成長を手助けすることの方にやりがいを感じていました。そのため後にまた進学校に転勤したのですが、やはりそこでは偏差値重視の教育が行われており、自分はこうした教育の在り方には向いていないし、働いていて楽しくないと確信したので学校教員としての人生に幕を閉じる決断をしました。
ーーー教師を辞めた後はどんなことを始めたのですか?
退職する少し前ぐらいから、自分から発信し、自由に生活したいと考えていたのでブログを始めたんですよね。そこでは自分自身が不登校だった経験、教員として不登校の生徒を見た経験、そして自分の娘が不登校になった経験など「不登校」をテーマにした発信をしました。すると現在不登校の学生や、不登校の子どもを持つ親などからの一定の反響があったので、この人たちの力になれたらと思って不登校の学生向けの家庭教師と不登校生徒の親向けの相談受付を始めました。現在はそこでの授業料や相談料で生計を立てています。
ーーー教員を辞めたことに後悔はありますか?

全くないです。収入は減りましたがやりたいことができているし、頑張った分だけお金が入ってくるということに個人的には満足感があります。教員をやっていた時にALTの先生から英語で「あなたの人生のモットーは何ですか?」と聞かれたときに咄嗟に出てきた言葉が「Always changing!」だったのですが、これは本心だと思います。「やめて、はじめて」というのは昔からの自分のやりかたで、変化を遂げながら成長するのが自分のタイプだと思います。日本は継続が美学とされる風潮が強いと思うんですが、やめたあとに得られる学びも十分にあると思います。何事もやってみなければわからないので、「これだ!」と思ったらとりあえず向かってみることが大事だとおもいます。それで違和感があれば、別の道を進めばいいんです。
ーーー三浦さんにとって大学とは。
浪人していたころに予備校の先生が言っていたことなのですが、「社会に出てしまえば〇〇小学校卒と同じレベルの価値しかない」ものだと思っています。結局その人の個性を作り上げるのは、本人が何を経験してきたかにかかっていると思います。
ーーー最後に、三浦さんにとって人生とは。
何度でもチャレンジできるものだと思います。変化を恐れずいろいろなことにチャレンジしていいと思います。私は不登校だったし、部活を入部早々に辞めたし、赴任先の高校に合わず退職しましたが、そのたびに自分を変化させて、新しいことを初めて今まで生きています。

オンラインでインタビューを受けていただきました!
皆さんはこの記事を読んでどう感じましたか?
三浦さんは、繊細で人と接することへの疲労感が強いという特性があり、それが学校生活や仕事の現場でも影響し苦労することもありましたが、それでも絶望することなく絶えず自分を変化させてきました。その結果、現在は自分の働きやすい環境を手にすることができ、「不登校経験」、「不登校生徒の教師」、「不登校児の親」という3つの顔を活かして、不登校にまつわる悩みを持つ人たちの手助けに尽力されています。三浦さんの柔和な表情からは、しなやかさと強さが感じられました。
こちらが、三浦さんが現在発信中のブログ、YouTubeのリンクになります!👇
YouTube: https://youtube.com/c/emuheiblog
コメントする