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ーーーー大学生という身分を活用して、最大のリターンを得る方法をつかめたのは大きな収穫でしたーーーー

ゲストプロフィール
宮崎雄太(ミヤザキユウタ)
兵庫県明石市出身。2000年4月6日に三人兄弟の長男として生まれる。高校時代まで関西で過ごし、一橋大学進学と共に上京。3歳から空手を始め、中高では柔道、大学ではボクシングと格闘技を行なってきた。また大学3年生の時に、スタ丼で有名なサッポロラーメン国立本店の大将と共に、梅酢の会社、株式会社Reno Zeroを立ち上げる。
ーー幼少期を教えてください。

保育園の頃は様々な習い事をしていました。親から勧められた水泳やヒップホップの他に、その後10年続けることになる空手も始めました。当初は、保育園に誰彼構わずボールをぶつけるような悪ガキに負けたくないという理由で、親に「強くなりたいんやけど」的なことを言い、始めたのですが、空手を通して精神的に強くなれたと思います。その後保育園の悪ガキとも仲良くなりましたしね(笑)
ーー小学生時代を教えてください。
当時訪れた転機は、初めての受験でした。地元の小学校に通っていたのですが、友達が中学受験することになり「お前もどうや?」と誘われたんです。それまで中学受験とは何かすら知らなかったのですが、当時通っていた塾よりかは楽しいかなという気持ちで友達が通っている日能研に代えました。その時初めて受けた学力テストの点数が壊滅的だったことから、小6の夏に死ぬほど勉強をして、なんとか偏差値を60まで持っていき、ギリギリ中学受験に受かりました。それがなかったら僕は一橋に来ていなかったと思います。
ーー中高生時代を教えてください。

中学では中高一貫の白竜中学・高等学校に進学しました。途中まで空手をしていたのですが、友達が野球部に入ったので、友達と遊びたいからという理由で入部し高校まで続けました。僕は左利きなので、あまり守れるポジションがなく、消極的な理由ではありますが一番適性があったピッチャーをやっていました。当時は毎週試合があり、野球しかしておらず、勉強をめちゃくちゃサボっていましたね。実際に高2でクラス分けがあった時は下のクラスでした。そこで流石に高いお金を払ってもらっている親に申し訳ないなと思い勉強を始め、3年生には上のクラスに上がりました。そのクラスでは東大京大を目指す学生が多く、自分も最初はそこを目指していましたが、高2くらいから将来は働きたくないという理由で株で儲けることに興味があったので、先生に紹介された一橋大学を志望しました(笑)一橋に何学部があるかも知らず、「株といえば経済だろう」という考えで経済学部を志望しましたが、今考えると株は商学部でしたね(笑)
ーー大学時代について教えてください。
経済学部に進んだものの、授業の内容は理論が多く、自分には机上の空論としか思えませんでした。今思うと理論より実践の方が好きだったんだと思います。
課外活動に関しては、もともと空手をやっていたことや、中高の授業で柔道をしていたことから、格闘技にのめり込み、ボクシング部に入部しました。ただ、ボクシングは一年ほどで辞めてしまいます。というのも、ボクシング部には、毎朝5時に起きて、15km走って、高校生の部活に参加させてもらい、ボコボコにされ、泥のように眠るという地獄のような夏合宿があるんです(笑)自分はもともと暑さに弱く、あまり練習に参加できなかったんです。成長の機会である合宿にコミットできなかったことが悔しくて、一年で辛いなと思うようになっていました。
その一方で、大学1年生の6月にはその後大きな転機をもたらすことになる、サッポロラーメン国立本店の大将と出会いました。初めて訪れた時は、そのお店はスタ丼が有名とは知らずラーメンを注文していたのですが、大将がボクシングのトレーナー経験があったこともあり、仲良くなりました。大将は一橋生の就活を支援したり、様々なマインドセットや情報を教えてくださりました。そこで株で儲けたいという話をしたところ、それまで普通に就職することしか考えていなかったのですが「一橋生たるもの雇用を作って社会に貢献して金を稼げ」と言われ、起業という選択肢も考え始めたんです。
そんな時、大将のところに梅酢という調味料がやってきました。とても美味しくて、健康にもいいし、歴史もある製品なのに、まだ市場が確立されておらず、今は産業廃棄物的な扱いを受けているものです。今は梅農家さんから無償で梅酢が回収されています。そこに対して梅酢を普及させることができれば、SDGsの食品破棄や地方創生などの文脈でもアプローチできるかなと思い、初めて食べた時に直感的に「これ金になりそうっすね!」と大将に言ったんです。そしたら、「じゃあ起業するか!お前!」と言われ、その場のノリで起業が決まりました。
もともとは起業をするにしてもまずは就職してからだと思っていたのですが、学生という何も失うものがない時期に挑戦するのもありだなと思い、ちょうどボクシング部が辛いと感じるようになった時期と重なったので、ボクシング部をやめて起業することにしました。
ーー起業準備について教えてください。
最初は起業をなめていましたね(笑)実際はしんどいです。最初に資本金をいただく際に、会社のコンセプトやビジョンを考えなきゃいけなくなった時にしんどくて、何度も起業をやめようと思いました。ただ、その時に大将が出資者候補の人を集めてくれたり、梅酢を譲ってくれる取引先との関係性も確立してくれて、引くに引けない状況で泣きそうになりながら必死にやっていました(笑)会社登記をしたのは大学3年の6月なので、起業には一年くらいかかりました。事業を始めた瞬間に顧客がいる状況でないと、経営は続かないなと思ったので、起業準備はしっかり行いました。
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ーー起業を通して良かったことや大変だったことを教えてください。
別に僕は梅酢を売ることを人生を通してやろうとは思っていないんです。ただ、学生で起業しているというだけで、OBOGやその他社会人の方々とお話をする機会をたくさん得ることができ、普通の学生生活では経験できないようなことができていると感じています。
しんどいなと思うことは、人への気遣いですね。多分大企業だと、一顧客との信頼関係作りは社員が分担して行うと思うのですが、立ち上げ当初は僕が全て関係構築をする必要があり、改めてその方々への配慮や気遣いに気をつけないといけないと思いました。また、もし僕が今大学で問題を起こすと、多くのステークホルダーに影響を与えてしまうということを意識するようになり、もう慣れましたが、少し生きづらくなりました(笑)
ーー起業をして得た一番の学びを教えてください。
一番の学びは、大人はある程度の無茶を言っても聞いてくれるということに気付けたことですね。少なくとも学生のうちは多少無茶を言っても大人は全然怒らないですし、もしできなかったとしても、「これならできるよ」と代替案を出してくれたり面倒を見てくれます。そうやって大学生という身分を活用して最大のリターンを得る方法をつかめたのはとても大きな収穫だったと思います。
ーー宮崎さんが大切にしている価値観を教えてください。
誠実であることですかね。信頼を構築するには時間がかかりますが、壊すのは一瞬ですし、友人関係でも重要ですが、特に会社同士の付き合いとなると、一瞬で何百万何千万の機会損失が出てしまいます。なので、当たり前のことをちゃんとすることが大事なんだと思います。
ただその一方で無茶を言って大人に甘えさせてもらうなど、このギャップが大事だとも思います。無茶苦茶なことを言って無茶苦茶なことをしたら「なんやこいつ」と思われますが、もし無茶苦茶なことを言って面白いやつだと興味を持ってもらい、関わるうちに誠実な対応を見せると可愛がってもらえると思います。年上の方々に可愛がってもらえるのは若いうちの特権だと思うので、うまい立ち回りは意識をするようにしています。
ーー共に起業した大将から学んだことはなんですか?
大将からは常に天井(目標)は高く持てと言われています。やはり天井が低いと小さい人間になると。それから「誠実になれ」もそうですが、「馬鹿なふりをしろ」とも言われていますね。例えば、他の人が自分の知っている話をしていたとしても、それに対して被せて話すのではなく、素直に相手の話を聞いたりですね。
正直大将からはビジネスのやり方を教えてもらったことはなく、マインドセットや人間関係構築について学びました。その分ビジネスの部分は2人で手探りでやっています(笑)
ーー宮崎さんの将来の夢について教えてください。
自分の目標は、世界から飢餓をなくすことなのですが、その手段として完全食の開発をしたいです。最近ではBASEという株式会社がありますが、僕はできればカプセル型の製品を開発したいんです。可能かは分かりませんが、カプセル型の製品をまずは富裕層に売って、稼いだお金で途上国に無償で配布をしたいです。完全食だと飢餓地域の人にも役に立つし、僕らのためにも良いプロダクトになるのではないかと思います。これからは、食事の意義は「楽しい時間を得るための手段」と「生命維持」に二分するかと考えているからです。飢餓へのアプローチはたくさんありますが、世界中にとって良いものと考えると完全食かなと思っています。そしてやはり、利益を生まないとビジネスは続けられないので、富裕層から利益を得て、飢餓地域へ還元していくというモデルが良いのではないかと。
その夢を叶えるために、今後はフードテックが発展してる国で勉強しようと思っています。
ーーなぜ飢餓という問題に関心を抱いたのですか?
もともと食べることが好きということ、それから日本は恵まれているので、なんならお金がなくても自分が何もしなくても食べられる国だと思うんです。それなのに、そうではない人たちがいることを考えると、それに対して何もせず死んでいく自分は許せないと思ったからです。貧困の解決策を編み出すのは難しいですが、飢餓の解決策であれば画期的なものを作り現地で製造できる技術があれば良いのではと思いました。飢餓を解決した先に貧困はなくなるのかなと思います。完全に僕の価値観と偏見と妄想だけでそんな将来の夢を描きました(笑)
ーー今後の目標について教えてください。
まず短期的には卒業後5年くらいの間に海外に行きたいと思っているのでその留学資金を貯めることと、自分が海外で学んでいる間に事業を引き継いでくれる後継者を見つけ育てることですね。
長期的には、年を取ってもいいから飢餓問題に取り組み続けることです。自分が解決に貢献できなくても、せめて次の世代の踏み台になれればいいなと思います。なんなら自分のミッションが達成できるのであれば、僕が経営者である必要もないと思っています。それはまず海外に行ってみないとわかりませんね(笑)
ーー進路選択に悩んでいる読者に向けてのアドバイスはありますか?
僕としては、やりたいことはやればいいと思っています。ただその勇気が持てない学生さんにアドバイスをするならば、学生のうち、若いうちは大人に甘えて、頼って、チャレンジしてほしいです。学生は本当に特にリスクがなくなんでも挑戦できる最後のチャンスだと思うんです。なので、意外と大人は助けてくれるということを、身をもって経験してほしいです。
ーーあなたにとって大学とは?
自己実現のための通過点でもあり、登山でいうところの休憩地点でもあると思います。大学生は一番リソースも時間もあるので、目標を見つけるのにも適している期間だと思います。登山に例えると一番豪華な小屋ですかね。
ーーあなたにとって人生とは?
登山です。人生をかけて成し遂げたいことを見つけて、登っていくものだと思います。もちろん人生の途中で山を変えることもできますし。山頂となる目標を設定してそれに打ち込むことが大切だと思います。ただ自分の山は見つけようとして見つかるものではないし、人生の目標が見つからずに死ぬ人が大半だと思います。これは生き様の中で見つかるものなので、運だとも思っています。

Zoomでインタビューを受けていただきました!
皆さんはこの記事を読んでどう感じましたか?
ぼんやりと起業を考えていたものの、いざ挑戦してみると至難だらけの中、「自分がやらなければ他の人に迷惑がかかる」と宮崎さんは他者との関係性の中に身を置き自身を奮い立たせてきたようです。その姿には大学生ならではの無茶振りと起業家としての誠実さが垣間見えた気がします。
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