スポンサーリンク

ーーーー自分自身の魂が震える瞬間に出会うことが人生の喜びーーーー

ゲストプロフィール

村田晃一(むらたこういち)
山口県長門市出身。小学5年時「油谷子どもミュージカル」に入団して以来19年間毎年有料公演の舞台に出演。東京藝術大学音楽学部声楽科に入学、4年生の時に劇団四季の入団オーディションを受け、即戦力メンバーとして入団。俳優やアーティストたちのこころとからだのケアをできるスペシャリストとしてコーチングセッションを提供していくことをしていきたいという意思が固まり、2021年3月いっぱいでの退団を決意。SNSを使った情報発信をしつつ、劇団四季を始めとするプロの俳優やプロを目指している方に向けたヴォイストレーニングやコーチングセッション、ダンサーのための体づくりのトレーニングなどを行っている。

ーー中学時代までを教えてください。

山口県の長門市で生まれ育ちました。自然豊かなまちで、姉が三人いて、末っ子長男でした。親は自営業でした。習い事をたくさんしていて、塾、習字、柔道、水泳、卓球、ミュージカル、ピアノなど。いろんなことに興味津々で、昼休みに体育の先生にアクロバットを習ったりしていました。そういったジャンルレスな取り組みが、ミュージカルの舞台に生きていたと思います。ミュージカルって、声楽的なものが中心のものもあれば、ダンスメインのもの、ダンスにもいろんな種類があるし、演技メインのものもあって・・バリエーションが豊富で、何でもやらなくていいけど何でもできないといけなかったり。ちょうど僕の性格的にも、姉や友だちがやっていたことは何でも負けずにやりたい!という精神をもっていたので性に合っていたんだと思います。ただ当時の田舎の小学生にしては忙しい方で放課後はほぼ毎日埋まっているような状態で、先生に「最近忙しいんですよねー」とたまにこぼしたりしていたのを覚えてます(笑)

目立ちたがりな性格で、小学校のころはアイドルになりたかったですね(笑)文化祭や体育祭の出し物では振付など全部自分が仕切っていて、あとは各クラスの教室にあるオルガンで弾き語りをしていたのを覚えています。ただ自分のなかには「文武両道」というテーマがあって、これだけ仕切りたがっているのだから、意地でもそれに見合う学力や生活態度をもとうと心がけていました。

ミュージカルを始めたきっかけは、小学校4年生の時です。自分が小学4年生の時に、小学5年生以上が入れるミュージカル団体が発足し、元劇団四季の方が教えに来ていました。姉が最初に入っていて、家族招待のゲネプロ(観客を入れて行う本番同様の進行で行うリハーサル)を観に行ったことがありました。何気なく観に行ったのですが、衣装や作曲、照明などがすごくしっかりとしていて、何より姉や友だちがすごくのびのびと演技していて、本当に衝撃的でした。公演が終わった後もビデオを擦り切れるほど、自分は出ていないのに振りやセリフを覚えてしまうくらい繰り返し見ました。自分が好きなことが多くミュージカルに詰まっていると感じました。小学5年になったら入団し、そこからはどっぷりミュージカル一色の人生になっていきます(笑)

ーー中学時代について教えてください。

地元の公立中学に進学しました。学校生活は正直、ミュージカルの記憶しかないです(笑)毎日ミュージカルの練習をしていました。また、生徒会の副会長をやっていました。勉強もがんばっていたかなと思います。できないと悔しい反骨精神を持ちつつ、楽しんで勉強していました(成績はほぼほぼオール5くらいだったそうです!)。姉たちはそこまで勉強が好き・得意ではなかったので、そこは違ったなと感じます。

小6か中1のころから、本格的に劇団四季を目指すようになります。初めて劇団四季を観たのが小学校6年生のころだったのですが、劇を観る前から事前にパンフレットを注文して見て感動、本番を観てまた感動といった具合で、一気にのめり込んでいきました。劇団四季で活躍している人には東京藝大出身の方が多かったので、このころから藝大という選択肢が自分の中に出てきたと思います。

ーー高校時代、大学受験について教えてください。

地元の高校に進学しました。相変わらずミュージカル中心の生活でした。学校行事には積極的に参加し、勉強もがんばっていました。そのなかで最大の課題だったのが、周りに藝大志望の生徒が全然おらず、指導できる人も少なく、音楽の専門的な勉強をする方法が全く分からなかったことです。

高校時代、修学旅行の行き先は東京でした。企業見学があって、見学希望先の企業を書く用紙は、第1〜3希望まで劇団四季と書いて提出しました。そうしたら、先生が交渉してくれ、自分だけ単独で劇団四季の稽古場に行かせてもらえたんです。そこへ行くと、特別ゲストとして有名な演者の方が会いに来てくれたということがありました。憧れが増しましたし、絶対ここに行きたいとより一層思うようになりました。先生にも、劇団四季の方にもとても感謝しています。

藝大を含む音楽大学の受験では、「ソルフェージュ」といって音楽の実践的基礎教養科目があるのですが、これが最初全くできませんでした。どれくらいできなかったかというと、ピアノ教室に通って練習したのですが、できなすぎて教室を辞めさせられるほどでした(笑)歌のレッスンも間に合わず、とにかく音楽の基礎トレーニングをまともに受けたことがない状態だったんです。受験には結局不合格。浪人することになりました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ーー浪人生活について教えてください。

この1年間は、はっきり言って僕の人生になくてはならない「華の浪人生活」でした(笑) 文化の完全な地方分権はないのだろうと当時から感じていたので、上京することを決め、1年間みっちりとレッスン生活を送りました。

東京で、ひとり無所属で繋がりも少なく、SNSでの繋がりも今ほどは発達していなかった時代、いろんな舞台を見に行ったりして勉強していました。そしてとあるテノール歌手の方のコンサートに行った際、その方の声の素晴らしさ、歌のエネルギーに僕の中で雷が走り、終演後ロビーで「弟子にしてください!」と、持っていた紙の切れ端に電話番号を書いて熱く突撃させて頂き、結果その方は快く向け入れてくださり、そこでの学びが特に自分にとってプラスに働いたのだといまも感じています。自分の直感に素直になり、思い切って行動してよかったなと思える出来事でした。東京で一人暮らしすることに関しては、迷いや不安はありませんでした。

受験は、現役のころは根拠のない自信だけでしたが、浪人して東京の舞台をたくさん見たり、藝大の文化祭に行ったりして、藝大にいる人のレベル感が解って、そこに向け対策をすることができたので、根拠のある自信をもって受験することができました。結果、1浪で合格することができました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ーー大学時代について教えてください。

藝大には、出身、バックグラウンド、得意分野、性格などが様々な人が集まります。どの人もネットで検索すると名前が出てくるほどすごい人ばかりで、比べてしまうこともありましたが、決して悪くない刺激だと思います。大学ではミュージカルサークルに所属していて、振り付けも担当していました。演出は今「レ・ミゼラブル」などに出演している同期の仲間が担当していました。オペラが好きで、東京文化会館で歌ったりしましたね。一年生の時に藝祭に向けて美術学部と合同で大きな神輿をつくったりしていましたが、夜遅くまで学校に残ってみんなで神輿や法被をつくったりして、藝祭当日はお祭り騒ぎでフィーバーして、まわりでは恋も芽生えたりしてて(笑)忘れられない青春ですね!

合唱を披露するにあたって声楽科のみんなで合宿に行ったときもみんなで海辺の宿で楽しい時間を過ごして、まわりでちょっと恋が芽生えていたりしていい思い出で・・(笑)

でも、ミュージカルサークルの合宿では僕にも甘酸っぱい春が来たり(笑)

とにかく、最高の仲間たちと過ごした最高の日々は、僕にとって本当に大切で愛すべき思い出です。

劇団四季に応募したのは4年生の時でした。当時何かあった時のために教員免許を取得しようとしていて、地元の長門に教育実習に行っていたとき、子供ミュージカルの師匠に会ったんです。当時、アメリカのブロードウェイで武者修行をしたいと思うようになっていたんですが、藝大を出たぐらいでブロードウェイじゃ通用しないということを言われ、自分も納得して劇団四季を目指すことにしたのが、書類審査締め切りの3日前でした。歌の課題を実家のお風呂で録音して送信しました(笑)結果は即戦力メンバーとしての合格。素直に嬉しかったです。当時は怖いものがないという感じで、ギラギラしていましたね。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

スポンサーリンク

4年生のときに初舞台にも出ました。嬉しいの一言でした。舞台こそが、自分の生きる場所だと改めて実感しましたね。学長は「藝大は就職難民にとってのモラトリアム施設」と言われていたので、在学中にそれを脱出できてよかったです(笑)仮にオーディションに落ちてしまったとしても、もう一回受けようとしたと思います。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ーー大学を卒業してからを教えてください。

劇団四季での稽古、舞台に取り組む毎日が始まります。劇団四季は環境が素晴らしいんです。まず、稽古場が必ず確保されていることがどれだけ貴重か。稽古場はだだっ広くて、個室、トレーニングジム、食堂、レッスンなども充実しています。若者は食堂で安くご飯が食べられるし、基本給に加えて出演給も出ます。演者が自己研鑽に集中できる環境が整っていました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

『エルコスの祈り』(ピーター役、ポール役)でデビューし、同時にカンパニーのコーラス管理をする「音楽担当」に任命されました。続いて『オペラ座の怪人』(劇中オペラのオペラ歌手役)に出演し、『王様の耳はロバの耳』(キリボシ役、床屋役)では四季での初主演の床屋役をつかみました。その後『キャッツ』(鉄道猫スキンブルシャンクス役)を経て、『ライオンキング』(ハイエナダンサー役)では東京藝大声楽科出身者では初となるアクロバットダンサー枠を任されました。

そして『コーラスライン』(ポール役)では台本9ページに渡る台詞を語る役回りを頂きます。演技が好きだったことに加えて、この『コーラスライン』は演技の恩師である青井陽治氏がブロードウェイから輸入、翻訳した作品で、この舞台にポールとして立つことが自分の目標だったため、念願叶っての出演となりました。ただ、それを演じていく中で、「僕にはこれ以上のことができない」と強く感じたんです。ネガティブではないんですが、「四季での舞台活動は僕はここまでだ、やりきった」と自分の限界を感じました。時代の流れや、自分の性格もある程度影響していると思います。コロナ禍で公演ができず、共演者と会えなかったり、SNS等で自分の名前で発信ができなかったり、やるべきことを淡々とこなしていくように見えた団員のなかで、自分は自分個人としてもっと表現したい、活動していきたいという思いが強くなっていました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

恩師の青井陽治先生と

そんななか四季退団の最も大きな決め手となったのは「コーチング」への強烈な興味でした。もともと僕はメンタルが強い方ではなく、自分が演者のときにコーチやカウンセラーに助けられた経験から、自分もこの道に興味を持つようになりました。主にボイストレーニング、メンタルトレーニングを行っています。メインキャストになっていくと、だんだん孤独にもなっていき、相談できる人も減っていったりもします。舞台に19年関わってきた僕が心理学やコーチングを学んで提供することで、1人でも多くの俳優の笑顔に繋がればと思い、退団前にはいろんな勉強をしていろんな資格を取ったりしていました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ーー今後の進路について教えてください。

「個」がより求められていくこれからの時代、コーチングはますます重要になっていくと考えています。ティーチング(正解を教えること)の技術も必要ですが、自分のなかにある答えに自分で気づいていくコーチングの手法が、情報や選択肢が多すぎる現代では必要だと考えています。また、経験が増えると、こうしなければいけないという抑圧に追い込まれがちで、本来感じていたはずの「表現することの喜び」は、プロになっても忘れやすいものです。恐れずに演技に飛び込むマインドや、自分のやりたい表現から目を逸らさない精神、それらを忘れない上で求められることを実現できるスキルを身につけることができれば、表現できることの素晴らしさを忘れずにいられる。心理学の知識なども活用しながら、そこに立ち返れることをサポートするような、パフォーマーに向けたコーチングをやっていきたいと考えています。自分自身の魂が震える瞬間に出会うことが人生の喜びだと思っており、それを体験できるサポートをしていきたいです。

今後、やりたいことは多すぎるくらいありますね。俳優さんたちへのコーチングはもちろん引き続きやっていきます。心理学や、脳科学の知見をもっと増やしながらやっていきたいです。また、今後は俳優に限らず、一般の人やアスリートなどのコーチングにも取り組みたいですし、5月くらいからYouTubeも本格的に活動していきたいと考えています。自分との対話を通じて、なりたい自分になれる人が増えればいいなと思っています。

また自分自身、何か作りたいという思いはあるので、ドイツ在住の作曲家と少しずつ演目をつくっていこうと話を進めています。10年かければブロードウェイにもいけるんじゃないかという思いでやっています。あとは、自分のスタイルにあった歌を作って歌いたい。サポートすることと、つくることの両立を目指していきます。何をするにしても、コーチ的な自分と表現者的な自分の個性を活かしていきます。

ーーやってよかったことはありますか?

舞台で歌うということです。ミュージカルが、自分を表現する一番いいステージでした。そういう意味では、本当にミュージカルに出会えたことは運命的でした。

ーーやっておけばよかったことはありますか?

機械が苦手だからその勉強をしていればと思うことはあります。特に、独立してからそう感じることが多いですね。でも、得意な人に任せればいいし、勉強すれば何とかなるとも思っています。

ーー進路選択に悩んでいる読者に向けて、アドバイスをお願いします。

「将来あなたはどうなりたいの?」という質問に答えることには苦労する人が多いなと感じます。僕は、反対にやりたくないこと、送りたくない日々をイメージして、正直に書き出してみることをお勧めしたい。その反対の姿になるためにはどうしたらいいのか考える方が、皆さん言葉が出てきやすそうなので、それをアドバイスします。

あとは、ちょっとでも好きだなと思ったりワクワクを感じたら、素直にとことん行動してみること。「好きな事ばかりでは生きていけない!そんなに世の中は甘くない」という人がいますが、好きでもないことばかりをやっていて生きていけるほど甘くもない、と僕は思います。とにかく好きなことをやってみましょう。

ーーあなたにとって大学とは?

先ほどお話しした学長からの言葉に影響されている部分があるので、「モラトリアム」。猶予期間ですかね。人生の夏休み、とも思うので、とにかく貪欲に行動して、吸収して、仲間との時間を楽しむことが大切だと思います。

ーーあなたにとって人生とは?

自分の価値に気づくこと、自分の使命に気づいて愛をもって行動することが人生だと思います。それが、義務ではなくて権利だという感覚に気づくこと、これも大切ですね。

いろんな方をコーチングしてきて感じるのですが、「自分には価値がない」「これができないと価値がない」「愛されたい」「繋がりがほしい」「認められたい」といった方がとても多いです。僕もかつてはもれなくそういう感覚があったりしました(成績が優秀でないと文化祭で好き勝手できる権利はない、と自分で勝手に決めつけていた小中高時代がありますし笑)。

ですが、「誰かに認められたい」「誰かに愛されたい」と思っている人の多くは、自分で自分のことを認め、愛する努力ができてない場合が多かったりします。

これをそもそも「努力」ということに今までの時代の感覚でいうと違和感を感じることも多いはずです。自分を認めたり愛したり癒すことは、怠惰であるという感覚が先に出てしまう方も少なくありません。しかし僕は今の時代、【本当の努力】は「自分の価値を認め、愛すること」だと思います。これが本当にできてる人って、人のことも「本当に心から」愛し、認められるし、社会貢献もできるのです。

この地球に生まれ落ちた使命は必ずあるものだと思っています。その気づきに向かうことを楽しみ、軽やかに行動し、そして愛すること。その愛を循環させるべくまた行動すること。どんな自分でも価値があって、愛があって、繋がっていることを知ること。

なんだか宗教っぽいと感じる方もいるかもしれませんが、僕はいろんな勉強やコーチングの実践の数々を通して、今このように感じているのです。

皆さんはこの記事を読んでどう感じましたか?

村田さんは幼少期のあこがれや反骨精神を原動力に絶えず行動を重ね、夢を叶えました。その後も、常に自分の「好き」を観察すること、行動することを続け、サポーターとしての一面と表現者としての一面に気づき、自分の進む道を自ら切り拓いていっています。自分の「好き」を追求すること、行動し続けることに、人生のヒントが隠れている気がしました。

あなたはどうして生きていくのでしょうか?