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ーーーーアリとキリギリスで言えば、私はキリギリスのタイプです。ーーーー

ゲストプロフィール

青木純也(アオキジュンヤ)

兵庫県宝塚市出身。現在22歳。京都大学1回生の時に、プログラミングサークルを通じて知り合ったMBAの先輩と世界のスタートアップの調査のため、シリコンバレー、深圳、シンガポールなど、世界各地を回る。このことの影響もあり、3回生の時にカウンセリングを受ける人と、カウンセラーをマッチングさせるサービスの会社を起業する。現在は大学を休学し、会社の経営に専念している。

ーー高校時代までのことを教えてください

兵庫県宝塚市出身です。家族は、両親と8歳上と10歳上の兄がいます。元々は東京に住んでいたそうなのですが、母は都会の生活に疲れてしまったらしく、宝塚という都会とは少し離れた場所で私を産んだそうです。

教育方針は褒めて伸ばすような感じだったと思います。「なんでお前はできないんだ!」という感じではなく、むしろ10歳上の兄と比べられて、「兄より大人だね」と褒められたりしました。

兄たちからは色々影響を受けたように思います。一番上の兄は、結局は後になって発達障害ということがわかるのですが、学校を途中で退学になったり、社会にあまり馴染めていない感じの人でした。一方次男の方は、優等生タイプで勉強もスポーツもできる人でした。私は小さい時からそんな兄たちを見て、長男をある種反面教師的に、次男を鏡にして育っていきました。よく大人びていると言われることがあるのですが、これは歳の離れた兄たちの影響があるかもしれません

小学校時代はゲームばかりしていました。兄たちのおさがりのゲームをよくやっており、モンスターハンターは800時間くらいやっていましたね(笑)読書も小学生の時からよくしていました。読書を通して、ある出来事があったとして、それをどう捉えるかは人それぞれなんだということを学んだことを覚えています。

中学は受験をして中高一貫校に行きました。これは自分の意志というよりかは、親の誘導という感じだったかもしれないです。なんとなく公立中に行くのは良くない、というような風潮を刷り込まれていました。学校は関西にある中高一貫校を3校受験して、3校とも合格しました。ですが進学を決めた学校は、その中で一番偏差値の低い学校でした。私自身は特にこだわりがなかったため、母の意向に従いました。母としては、良い大学に入ることを最終的な目標とした時に、偏差値が高い中学や高校ほど学生は塾に行くことを前提として、あまり学校で勉強を教えてくれず、一方偏差値がそこまで高くない学校の方が一層学校で勉強をよく教えてくれると考えていたため、この3校の中で一番偏差値の低い学校を選んだのだと思います。

私はなんのために勉強をやっているのかいまいちはっきりとした答えを持てず、学校の勉強はあまり意味がないように感じていたため、どこでもいいかなという感じでした。進学した学校では学費も免除されたため、それはそれでよかったと思います。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

中学時代も相変わらずほぼずっとゲームをしていました。一方読書の幅も広がり、「燃えよ剣」や「罪と罰」、「金閣寺」なども読むようになりました。高校もそのまま進学しました。高校からはゲームをあまりやらなくなるようになり、活動も幅が広がりました。勉強はあまりしてなかったのですが、友人とバンドをやったり、近所の社会人野球のチームに入ったりしていました。僕の座右の銘として「鶏口牛後」という言葉があります。これは大きい組織の末端にいるより、小さくてもいいからトップにいる方が良い、という意味なのですが、この考えはこの中高に入ったことで身についたように思います。もともと自分の学力よりかは少し偏差値の低い学校に入ったため、あまり勉強はしていなかったものの、成績は学校の中でずっと良い方でした。これによって自分はできるという自信がついたように思います。

ーー大学はどのように選びましたか。

京都大学の総合人間学部は、京大の中でも特に自由な学部で、校則など色々制約の多かった高校時代の反動からか、ここを志望するようになりました。この学部は4年間で必要な単位数が決められているだけで、進級するための条件などがないため、1,2年のうちに卒業までの単位を全て取り終えて、3,4年は全く学校に行かないみたいな人もいます。

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ーー大学時代について教えてください

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

先ほども言ったように、他の人は1,2年でほとんどの単位を取るようにしていた一方、私は1,2年の時はほとんど授業を受けていませんでした。

1回生の時は、プログラミングサークルに入っていました。ゲームが好きだったので、自分で作れるようになりたいと思ったからです。しかし実際に自分で作ってみると、めんどくさいと感じてしまい、あまり向いていないと思いました。

このサークルでは、MBAの先輩からの注文を受けて、世界のスタートアップ情報を一覧できるサイトを作るというプロジェクトがありました。その時の縁で、そのMBAの方に引き抜かれて、世界のスタートアップの調査に同行させてもらえることになりました。

シリコンバレーやインド、深圳、シンガポールなどに行き、多くのスタートアップを見ることができました。この経験が、自分で起業しようという考えにつながっていると思います。

2回生の時は特に際立ったことはしてないですね。1回生の時に色々動いており疲れたからかもしれないです。野球サークルには頻繁に行っていました。

3回生からは、心理学や言語学などを中心に勉強するようになりました。3回生になり、卒業後の進路を考えたとき、選択肢としては3つありました。一つはそのまま心理学の勉強を続けて大学院に進むこと。もう一つは、心理学の勉強を活かして少年鑑別所の職員という国家公務員の専門職に就くこと。そして最後が起業することです。起業の内容としては、カウンセリングを必要としている人とカウンセリングを行う人のマッチングサービスです。

現代のある課題の一つとして、カウンセリングを受けたい人は増えている一方で、カウンセラーになりたいという人は少ないということがあります。これはカウンセラーの給与が少ないということもありますし、医師会の力が強く、心理士は弱いという、構造的な問題も抱えています。

結局私はこれらの選択肢の中で起業を選びました。それは、やはり1回生の時に自分の目で多くのスタートアップを見てきたという経験が影響しているでしょうし、本を読んで資金調達について学んだところ、案外なんとかなりそうだな、と思えたことで起業をする決心がついたからです。起業はあくまで手段であり、今のカウンセリング業界の構造を変えるというところが最終的な目的としてあります。

起業をしてみて、資金調達も無事にすることができました。現在は、私とマーケティング担当、エンジニア担当、デザイン担当の4人で開発を行っています。

4回生では、コロナでオンライン授業になったことで単位が取りやすくなり、会社の経営と単位を取るということをしていました。現在は、単位は取り終わったのですが、卒業はせずに休学して会社経営に専念しています。正直、自分で起業をしてしまうと大学を卒業する理由というのもあまりなく、学割も使えなくなってしまうため、卒業はまだ先でいいかなという感じです(笑)

ーー起業に関して何か感じることや、周りからの反応はどのようなものでしたか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

大学生という身分で、20代という若さだからこそ、あまり不安なくやれているところがあると思います。また、同じ時間でも歳をとった時の1年と若い時の1年では、時間の価値が違うと思います。今しかできないことを早いうちにやることが大切ではないでしょうか

親からは公務員や大学院に進められたりはしたものの、基本的には応援してもらっています。私自身としても、起業をしてからたくさんの人から応援をもらい、起業という選択をして良かったと思っています。ただ、祖父はやはり大企業などに行って欲しかったようですね(笑)

ーーこれまでやって良かったことややっておけば良かったことなどはありますか。

やって良かったことは、「アリとキリギリス」でいうキリギリスでいたことです。つまり、楽しいことは早いうちにやってしまうということです。私は、高校の時から勉強はあまりせずバンドや社会人野球をやっていたり、大学でも他の人は1,2回生のうちに単位をたくさんとっているところ、授業にはあまりでず他のことをしたり、卒業後の進路としても就職ではなくすぐに起業しています。人によっては起業は、就職して経験を積んでからやればいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、楽しみを後にとっておくと、タイミングを失って終わってしまうのではないかと思っています。長期的な目標を持ってコツコツそれに向かって何かするよりも、とにかく今やりたいことを全力でやる、という生き方の方が変化の早い現代には、生き方としてあっていると思います。なので私は、面白そうなことは後にとっておくのではなく、すぐにやるようにしています。

やっておけば良かったことは、あまりありませんが強いて言えば、中学時代にもう少し勉強とか運動をしても良かったかとは思います。本当にゲームばかりだったので(笑)

ーー進路選択に悩んでいる読者に向けてアドバイスをお願いします。

長期的な計画を立ててそれに向かってコツコツ何かを取り組むことは、とても素晴らしいことだと思います。しかし、先ほども言ったように、楽しみはあまり先送りにしない方が良いとも思います。20代の時間を最大限有効活用できるような、進路選択をまずは考えてみると良いのではないでしょうか。正解などないので、直感で選んでみて何か違うと思ったら、すぐに変えてしまってもいいと思います。

ーー最後に青木さんにとって「人生」とは?

私にとって人生とは学びの連続です。学ぶために、様々なことに挑戦し、経験したいと思っています。何か辛いことが起きても、その出来事から何かを学べるんだ、という気持ちでいます。そう考えると、少し気が楽になりますよ(笑)

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

オンラインでインタビューを受けていただきました!

みなさんはこの記事を読んでどう感じました?

青木さんは、子供の時のゲーム好きが高じて、プログラミングサークルに入り、そこでの出会いがきっかけでスタートアップが身近なものになり、起業という決断につながりました。また、青木さんはとにかく今自分がワクワクすることを基準に進路を選択しているといいます。「キリギリス」という生き方もあるということを学ぶことができました。