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ーーーーやりたいことをやる大切さ、そして人生における「愛と感謝」の大切さーーーー

ゲストプロフィール

柳瀬 満夢美(ヤナセ マユミ)
岐阜県大垣市出身。地元の小学校、中学校へ通い、高校は地元の進学校へ進学。高校卒業後、大学へ進学し、卒業後は全日空ホテル(現在のANAインターコンチネンタルホテル東京)に就職。その後、名古屋ヒルトンへの転勤を経て、現在はECC英会話教室の先生として、来年で20年目となる教室を運営し、幼児から年配の方々まで幅広い年齢層の人々に英語の楽しさを教えている。

ーー中学時代までのことを教えてください

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

生後6か月のころ。

岐阜県大垣市で生まれました。家庭がにぎやかであったこともあり、幼少期から元気な子供でした。母親には厳しく育てられました。あまり甘やかされてこなかったので優しいお母さん像に憧れたこともありました。小学校時代は外で元気に遊ぶことが多かったですね。運動はさほど得意ではなかったのですが、短距離走だけは陸上部の子より速くて、毎年リレー選手でした(笑)。

中学校では勉強に一生懸命取り組んでいました。クラスでも最も良い成績をとっていましたね。また、合唱部での部活動にも熱心に取り組んでいました。仲の良い友達に誘われて始めた合唱でしたが、合唱指導に長けた先生に恵まれ、私も一生懸命取り組みました。NHK合唱コンクールやCBC合唱コンクールに出場し、毎年、県大会で最優秀校に選ばれていました。他にも、生徒会活動や詩歌クラブでのクラブ活動など様々な活動に熱を注いで取り組んでいました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

中学3年時に美術展覧会で推奨を受賞した際の絵画。

高校進学にあたって、地元の大垣北高校へ進学することに決めました。初めての受験でしたが、それまで勉学に励んでいたこともあり、担任の先生に「この子が滑ったら逆立ちをして校庭を歩きます」というお墨付きをいただくほど期待をしていただいていたようです。結果的に合格し、大垣北高校へ進学することになりました。

ーー高校時代のことを教えてください

高校時代も音楽部(合唱)に所属し、中学時代同様に一生懸命取り組み全国大会に出場しました。また、生徒会執行部にて保健委員会の委員長を務めたほか、高校3年時には体育祭の応援団に所属し、全体の前で演舞を披露するなどしていました。応援団の時に、男子生徒に学ランを借りて砂埃だらけになりながら演舞したことは今でも鮮明に覚えています。「読書感想文コンクール」で入賞した読書感想文を全校放送で読み上げられたこともあり、卒業の折には、卒業生代表として挨拶をする機会もいただきました。

勉学にも励んでいました。塾には通っていませんでしたが、休日に学校や市の図書館に通い勉強をし、日常的に学力の向上を図っていました。結果的に成績は上位を維持し続け、志望大学にも手が届くところにいました。

しかし、大学受験に当たっては様々な問題が生じました。もともと両親には教師になるように言われていたのですが、様々な面をみて、自分が本当になりたい職業ではないと考えました。しかし、当時は女子の進路に関して現在ほど開かれた状態ではなく非常に難しい判断でした。自分の第一志望の大学に合格したのですが両親の許可が下りず、結局違う大学に行くこととなりました。このことは大人になってからもかなり引きずりました。

ーー大学時代について教えてください

始めは、自分の本当に入りたかった大学を受けなおすことまで考えたのですが、学生オーケストラサークルに入り、サークルに打ち込んだことで、「サークルを頑張ろう!」と少し前向きに大学生活を送ることが出来ました。私はヴァイオリンを演奏することになったのですが、上手になりたくて、かなりストイックに練習を重ねていたと思います。オーケストラには幼少期からヴァイオリンを習っていた人も何人か所属していましたが、ヴァイオリンが好きで一生懸命練習してきた結果、4年生ではパートリーダーとなったり、ソロパートを演奏したりするなど非常に良い経験が出来ました。

アルバイトでは家庭教師をやっていました。大企業の会長さんのお宅で、受験生の娘さんを担当していました。何人も先生候補を面接された中で、私を採用していただいたそうで、生徒との関係も良好でしたし、ご両親には非常に可愛がっていただきました。初の教え子の合格発表の知らせが嬉しかったことや、素敵なセーターや鞄をいただいたことは今でも覚えています。

ーー大学卒業後の進路について教えてください。

大学卒業後は全日空ホテル(現在のANAインターコンチネンタルホテル東京)に就職をしました。思いもかけず就活はとんとん拍子に進みました。ホテル業だったので同期の数はかなりいましたが、四大卒の女子は私を含めて7人だけでした。新入社員研修が3月から行われたため、大学同期との卒業海外旅行に行くのを諦めないといけなかったのは残念でしたね(笑)。

入社後は、大学でフランス語を一生懸命勉強していたので、フランス語ができるという事で重宝されました。英語ができる人は大勢いましたが、フランス語については当時はあまりいなかったので、入社してからすぐ様々な重要な仕事も任されるなどしました。業務は多忙で、電話が鳴り止まない時などは周りの雰囲気が殺気立っているように感じることもありましたが、仕事は楽しかったです。私は地方から出てきた人間だったので寮生活をしていたのですが、2人1組の相部屋の子がすごく良い子で仲良くなりました。その子とは現在でも親交があります。同期とは仲が良かったですし、他の社員の方々にも可愛がってもらい、充実した仕事生活を送っていました。

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音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

東京全日空ホテルに勤務していた時代の一枚。エグゼクティブフロアにて。

しかし、そののち地元に帰ろうと思うようになり、最終的にヒルトン名古屋へ転勤しました。その後、退職し、フランス語を使った翻訳の仕事をしつつ家庭で子育てをしていました。現在は共働きのご家庭も主流になりましたが、私は自分の手で育児をしたいと思い育児をしつつ家庭で家事と両立できる仕事としてフランス語の翻訳を選びました。もともと自分が厳しく育てられたこともあり、自分は子供に「優しさ」を大切にしようと思っていました。

ーーECCの教室運営のことについて教えてください。

もともとECCに強い思い入れがあったわけではありませんでした。「なにか仕事しなきゃな―」くらいの気持ちで仕事を探し始めたのがきっかけです(笑)。もともと子育ての際に子供のそばにいたいという理由で仕事を辞めたのですが、子供が幼稚園に通う事になったタイミングで英語にかかわる仕事がしたいという事でECCの英会話の先生を始めました。最初の3、4年くらいは「私にはこの仕事は向いていないんじゃないか」という風に、真剣に悩んだことが何度もあります。サービス業出身だったことも影響していたのか、生徒に対して強く叱ることが出来なかったのです。それでも、次第に、自分のカラーで仕事をこなせるようにもなってきて、気づけば来年で教室が20年目を迎えることとなりました。現在では、よいご縁がたくさんあり、とても楽しく教室運営をしています。15年間通ってくれた生徒も何人かいて、卒業の際に感謝の言葉をもらったり、生徒が英語で様々なことを上手くやっている姿を見ると本当に嬉しい気持ちになります。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

毎年恒例の教室ハロウィン発表会の様子。

仕事をする上で特に大切にしていることは2つあります。「人」を大切にすること、そして「感謝」です。

「人」を大切にする事については、生徒が表面的に見たら良くないことをした時、行為や行動を否定しても、生徒自身を否定することはしないです。色々な場面で、生徒の気持ちに寄り添うことは大切にしたいと思っています。何かと反抗的な言動をとった子も、どういう背景を持っているかを見るようにしていくと、小学生なりに心配事を抱えていたということもありました。私自身、子供の頃、辛い思いを一人で抱えて過ごした経験をしてきたこともあって、(その時は、本当に嫌な経験だったとしても)そのお陰で、人の心の痛みが分かるような心の器を養えたと思います。生きていく上での課題や困難はどの子にもあると思いますが、捉え方によってその先の人生に生かせると考えているので、これからもこの関わり方を続けていきたいと思います。

「感謝」については、日々、色々なことに「感謝」を感じつつ過ごしていますが、私は、ある辛い時期、毎朝、感謝を10個書き出して、その1つ1つに心から「ありがとう」と感じてみるという習慣を続けていました。人に対してだけでなく、モノに対しても、です。毎日の単調な生活の中は当たり前と思われがちなことが、本当はどれほど恩恵を受けていることか、幸せなことか。教室が今日まで運営できている事、生徒が元気に来てくれる事、支えてくれるスタッフさん、自分が健康であること、家族が健やかでいてくれること、話を聞いてくれる友人がいること、目が見えること、手足を自由に動かせること、おいしく食事ができること等々、数え上げれば、100個以上の感謝は、あっという間に数えられます。(^^)

ーーこれまでやってよかったこと、やっておけばよかったことについて教えてください。

やってよかったことはオーケストラをはじめ、ヴァイオリンを続けてきたことです。もともと大学に入った時は教職課程を取ろうと思っていましたが、「オーケストラとの両立は出来ないよ」と言われました。しかし、自分のやりたいという気持ちを大事に、できるところまではやりたいと思い一生懸命取り組みました。結果的に、それが現在でも大きな財産になっています。自分の「やりたい」という気持ちを大切にして良かったと思います。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

2020年大河ドラマゆかりの地、岐阜県山県市にて演奏会。現在でも社会人オーケストラのパートリーダーを務める。

やっておけばよかったことは、大学進学で自分の意見をもっと主張して自分の本当に行きたい大学へ進学すれば良かったなと思います。周りの意見を聴くことは大切ですが、高校3年間の努力や、自分が興味あった学部、行きたいと思った大学に、もっと自信を持ってみたら良かったと思います。自分が未熟で幼かった故だと思います。あと、大学時代にフランス語は頑張ったのですが、英語の勉強がお留守になってしまったので、グローバルな世界を思うと、何といっても英語の勉強はもう少し頑張っておけばよかったと思います。

ーー読者に向けてアドバイスはありますか。

自分が「やりたい」と思ったその気持ちを大事にすると良いと思います。人からの「この方が良いよ」という意見や「こっちの方が安定している」などという考えや観方は受け止めつつ、何より、自分が自分らしく、自分を生かせる形で過ごせることが社会貢献にも繋がると思います。自分を生かせる喜びが周りの喜びにつながっていくのは、幸せのサイクルのように思います。だから、何かを決める時に、自分のハートの声を聞くことができれば、より良いのではないかと思います。20代の頃は、そんなふうには考えが及んでいませんでした。今だからこそ皆さんにできるアドバイスです。

私は、やなせたかしさんの著書『アンパンマンの遺書』や、皆さんもご存じの「アンパンマンのマーチ」などが非常に好きなのですが、是非今一度「アンパンマンのマーチ」の歌詞を心で味わいながら聴いてみてほしいです。人生において大切なヒントが溢れていると思います。

ーー柳瀬さんにとって大学とは。

時間であれ、何であれ、自分で自分自身の事を一番アレンジしやすい時期であると思います。様々なことが経験できる場所で、やってみたことが、たとえ失敗のように思われることになっても、それは失敗ではなく貴重な経験となり、「学び」を得る機会となります。自分が「これをやりたい!」と考えたことを、若いエネルギーでもって臆さずやってみると良いと思います。

ーー柳瀬さんにとって人生とは。

人生については正直、私も知りたいです(笑)。ただ、私が考えるところでは、人生とは自分を表現するところだと思います。何歳になっても人間は成長できます。「愛と感謝」、この2つを大切にして、どんなことが起こったとしても、人生に「愛」と「感謝」を拡げていきたいものです。

みなさんはこの記事を読んでどう感じましたか?

「愛と感謝」という2つの概念、どちらも物質として存在するわけではないため、目で見て体験することは出来ませんが、私たちはその2つがどのような概念であるか理解できるはずです。自分の人生にかかわる全てのモノに感謝することは簡単なことではないと思います。しかし、誰かへの感謝が、自分自身の日常生活をより豊かにするのです。誰かに感謝できる点を見つけられる力を、自分を客観的に見た際に適用することで、もっと自分の意思決定に自信を持ち、自分のことも大切にできる人生になるのではないかと考えました。