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ーーーー東京生まれ東京育ちの彼女は、どうして徳之島の研究をするのかーーーー

ゲストプロフィール

亀﨑萌衣(カメザキ メイ)
東京都世田谷区出身。東京都立日比谷高校卒業後、千葉大学法政経学部法政経学科経済学コースへ進学。高校では海外派遣プログラム、大学ではISO学生委員会に参加する。大学院進学コースに入り飛び級を経験し、3年間で大学を卒業。その後京都大学大学院に進学。研究対象である世界自然遺産の徳之島には大学一年生の終わりに出会い、NPO法人「徳之島虹の会」にも所属しているなど定期的に訪れている。現在は博士課程進学を希望し、就職を視野に入れ活動中。

ーー中学時代までを教えてください。

生まれてから大学生まで、ずっと東京都の世田谷区で育ちました。幼稚園から中学校まで公立の学校に通っていました。気が強く、負けず嫌いの性格で、受験をする子が多い小学校にいたのですが、周りに負けたくないという理由でめちゃくちゃ勉強していました(笑)授業中に発言をしたかったため、小学生の頃から苦手な歴史を予習していたほどです。

サバサバした性格で、男の子のような格好をしていて、友達を泣かせてしまうこともあるような性格だったので、女の子の友達があまりできないタイプでした。ただ、小学校6年生の時の担任の先生のおかげで性格や考え方が温和になり、今でも感謝しています。

母が教育熱心だったこともあって、勉強を頑張っていました。児童館活動や生き物と触れ合う活動にも参加していましたし、バレエなど、習い事は好きなことを好きなだけやらせてもらっていました。話すと驚かれるエピソードは、幼稚園の行き帰りに、母と一緒に古文や現代文の助詞の用法の覚え方の歌をおまじないとして歌っていたことです。中高時代に、試験中この歌を歌えば必ず満点が取れたことはとても感謝しています(笑)

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

公立中学に入学して、9科目で1番になるように母親に言われていましたが、それも疑わず、熱心に勉強していましたね。負けず嫌いという点と、勉強が嫌いではなかった点が理由だったと思います。部活動は吹奏楽部に入りましたが、途中ですぐに楽器の才能がないと気づきました(笑)他には、合唱祭の実行委員をしたりと、リーダーシップをとることが好きでしたね。

高校は、都立日比谷高校を志望しました。はじめは校舎が建て替わったばかりだったという安直な理由でしたが、結局学校見学を経て日比谷高校に入りたいという思いが強くなりました。推薦入試を受け、入学しました。学力は及んでいなかった自覚があるため、喋りでとってもらったと思っています。

ーー高校時代について教えてください。

高校では、かっこいい先輩がいるからという理由で入った生物研究部の部長を務めていたほか、3年間学級委員をしていました。自分にとって転機となったのが、SSHの海外研修です。SSHとはスーパー・サイエンス・ハイスクールの略で、これに認められている高校限定のプログラムのことを指します。当時日比谷高校では、海外の大学・企業との交流や連携、海外派遣研修等が行われていました。私はシリコンバレー・ハワイ島で行われた海外派遣研修の参加生徒に選抜され、スタンフォード大学の環境経済学の講義にてGretchen Daily先生に出会い、もともと親戚が環境保護活動などをしていて「環境保護にはお金が必要だよなあ」と思っていたこともあって、環境経済学を学んでみたいと思うようになりました。大学受験に関しては、高校にはとりあえず東大を目指しておけという空気感があり、私も当初は東大に行きたいと思っていましたが、センター試験の前に志望を変え、結局は先生で選び、千葉大学を選択しました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

海外研修中の一枚。高校までは、「勉強のために勉強していた」といいます

ーー大学時代について教えてください。

第一志望には行かず志望を落としたこともあって、勉強を頑張ろうと思っていて、GPA(成績)も上位2割の人しか取れないところを目指そうとしており、最初は勉強しかしていませんでした。千葉大学に進学してみると、環境経済学を授業で教えている先生はおらず、代わりに環境政策学を始めとして、環境に関わる政策や経済学の基礎などを幅広く学びました。法政経学部では、その名の通り、法学、政治学、経済学、経営会計学の4分野を学ぶカリキュラムが組まれているので、本当に良かったです。

徳之島には、大学一年生の終わりに出会いました。もともと何か新しいことをしてみたいという理由で留学が気になってはいたのですが、軸がない自分がするのはもったいないなと思い二の足を踏んでいました。そこに相談に乗っていただいていた教授から、英語を使うグローバルボランティアとして、JICAの人たちが徳之島に来る際の日常の通訳を行う活動の募集を紹介していただき、参加しました。活動自体はすごく楽しめたのですが、日常生活が英語になってしまい、魅力的に感じた徳之島の人々との交流にあまり集中できなかったので、再度赴くことにしました。ただの観光というよりは、体験しにいくというように現地の生活にどっぷり入っていきました。そこで、徳之島の方々の人柄に惹かれました。自分が東京出身だからかもしれませんが、お互い顔見知りで互いに知っていてつながっているというのが私にとって新鮮で温かかったのです。その後、長期休みごとに徳之島に足を運ぶようになりました。今も現地の人は電話やメッセージをして下さいます。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

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大好きな徳之島からのワンショット

課外活動としては、ISO学生委員会に所属していました。入学当初話を聞きたいと思った先生がしている活動だったため参加したのですが、多くのことを吸収できた3年間でした。

千葉大学では教育の一環としてEMSを「学生主体」で運用するために、2003年に「環境ISO学生委員会」を設立しました。一般教養科目「環境マネジメントシステム実習」の受講生で構成され、毎年1~3年生の約200名が所属する学生団体です。大学がEMSを運用する上で必要なキャンパスの環境目的・目標・実施計画の原案作成、EMS教育研修の講師、内部環境監査員などの業務のほか、環境意識啓発活動や、こどもへの環境教育活動、緑化や堆肥化活動、古本市や自転車のリユース、エコグッズの作成、環境イベントの開催などキャンパス内や地域で様々な活動を行っています。近年では持続可能な開発目標(SDGs)の達成を目指して、京葉銀行と連携したプロジェクトも実施しています。(千葉大学HPより引用)

元々は4年で卒業しようと思っていましたが、自分の所属するコースには3年で学部を卒業し大学院に進学することを推奨するコースが併設されており、自分は成績が足りていて環境経済学をさらにやりたいという明確な方向性があったため、応募し、採択されました。京都の大学院に行くと決めたのも同様で、自分のやりたい研究の方向性を先生に相談に行ったところ、紹介をされたのが京大の大学院の先生だったという経緯でした。

徳之島の世界遺産登録前後で世界遺産に対する当事者の意識はどれほど変わったか、観光客の人がどれほど環境保護に関して金銭的負担をするべきかを今は研究しています。日本では世界遺産登録直後のデータがあまりなく、登録後に問題が起きてからデータが計測されだした例が多いので、この度世界遺産に登録されたばかりの徳之島でデータを集め実証するという点に価値があると信じて研究をしています。

ーーlifepediaの読者には、亀崎さんのようには自分の軸を定められず、悩んでいる人が多いと思います。亀崎さんはどのようにしぼっていったのでしょうか?

一生懸命何か努力をして掴み取ることも大事だけど、自分の目の前に来たことを真摯に大切にする、縁を大事にすることが大事かなと思います。第一志望ではなく千葉大に来たわけですが、そこで戦意喪失するのではなくてそこに来たからこそ出会えたことを大切にしていけば自ずと道が開けるかなと思います。そして、いろんな人に会うこと。大学に入ってから人と比べて何ができるかではなくて、自分が何がやりたいかということを考えるようになりました。結局自分は他の人に影響をされて何かを選んできたことが多かったなと気づくことがありました。高校までは他の人に負けると悔しかった。けど、大学にはいろんな人がいる。いろんな人に会うと、自分が知っている生き方以外の選択肢が見えてくるから、大学に入ってからは色々な人に会おうと思いました。人と比べて何ができるかということではなく、自分が何をやりたいかの方が大切だと感じるし、多分そっちの方が難しいと思います。

例えば、農業を営む人と会うとみんなで協力してやっているんだなーなどと新たな選択肢が見えました。色々な人に会ったことで、大人って一口に言ってもいろんなことをしてもいいんだと気づき、一年生でいろんなところに行っていろんな人に会うようにしましたね。これはとてもいい経験でした。色んな人にコンタクトを取ることは今でも心掛けています。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ーー亀崎さんは就職活動を控えているとお聞きしました。それにあたってどんなことを考えていますか?

就活をするといろいろな悩みがありますが、自分のいちばんの成長はその悩みから抜けたことかなと思っています。就活はハードルじゃなくて、自分の将来のことに出会える選択肢だと思えるようになりました。就活を始めたころは企業から選ばれている感じがしたんですが、ワークショップなどで社員さんと話して、自分と本当に合っている企業は自然にのびのびと話せると気づいたのです。反対に、通らなかったところは自分には向いていなかったんだなと思えるようになりました。「ご縁」と捉え、大切にする人や余裕がある人になりたいなと思います。

周りを気にして企業を選ぶのではなく、自分がやりたいことや居たい居場所を探す一つの方法として就活があるんだなと思います。自分は今就活をしていますが、研究者の道も諦めていないですし、NPOもした経験から、色々可能性を広くとらえて見ています。地域に還元できる職業につきたいです。地域コンサルや町おこしをしたいし、当事者目線では解決が難しく思えるような悩みを拾い上げて解決したい。

キャリアはどんどん変えてもいい時代になりました。自分は現時点で就職するかもしれないしNPOに入るかもしれないし研究者になるかもしれませんが、どのような役割であれどういう形で貢献できるかを考えています。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

海外研修で赴いたスタンフォード大学での一枚。ここでお会いしたGretchen Daily先生を見て、自分が疑問に思っていることを研究として楽しくやっていいんだと思うことができたそう。

ーーこれまでの人生でやってよかったこと・やっておけばよかったことはありますか?

やってよかったことは、悩んだらとにかくやってみること、です。私はギリギリまで悩むタイプですが、SSHの出願や徳之島に行く決断など、少しでも興味があったらやってみて、後悔したことはなかったなと振り返って思います。

反対に、やっておけばよかったことですが、基本的には思いつきません。もちろん要所要所でそう思うことはありますが、振り返るとその時その時一生懸命やっているので。その後に後悔したことをやって、すぐ解消していければ結果良かったと思えるのではないかと思います。

ーー亀崎さんにとって「大学」「人生」とは?

私にとって大学とは「自分の好きなものを見つける場所」です。もともと自分は特別好きなことなどなく、自己紹介が苦手な人間でした。でも、学部一年生のときに色々と行動することで、自分なりの目線を持っていろんなところに行っていろんな人に会うことができて、その中から自分の好きなもの探しをすることができました。気づけば、負けず嫌いな性格も変わっていました。そういうことができる場所なのかなと思います。つまり、何もやりたいことが見つからない人ほど、大学は意味がある場所だと思っています。いちばん猶予があり、羽ばたける時間です。

私にとって人生とは「その時その時のことを一生懸命やるということ」です。私はサボる時も一生懸命サボっています!(笑)一つ一つを一生懸命やって、それを振り返ったら人生だと思うんです。高校までは一生懸命勉強して、大学で一生懸命遊んだ。そうすると視野が広がったため、高校とは違う宝物を得ることができた。趣味の時間も頑張るようになった。こんなふうに、一生懸命割く時間の割り振りも変わっていきますが、一生懸命やっていれば、それが人生になると思います。

ーー最後にこの記事を読んでいる人に向けてメッセージをお願いします。

徳之島の宣伝をさせてください!

2021年の7月末に世界自然遺産になった徳之島。夏も冬も魅力はあり、綺麗な海では夏はダイビング、冬はホエールウォッチングを楽しめます。この地域でしか見られない希少種もたくさんいます。夏は果実もとても美味しく、地元の人から余ったマンゴーを今年の夏にはたくさんいただきました!冬には特産のみかんや、春一番という日本で一番早く収穫できるじゃがいももあります!

みなさん自然を見にいくと思うのですが、もちろん海や山も綺麗で、空気も美味しいです。ただ、それだけで是非人と触れ合いにも行って欲しいなと思っています。徳之島の見所はやはり人。美味しい食べ物を食べたり素敵な人たちに会いに行ってください!!

皆さんはこの記事を読んでどのように感じましたか?

高校生までは負けず嫌いで勉強のために勉強していた亀﨑さん。高校での海外研修や徳之島との出会いがきっかけとなり、そういった「縁」を大切にしながら次第に自分の「好き」を深めていった彼女からは、今この瞬間を全力で生きることの大切さを感じさせられました。