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ーーーー「わがままでいい。ただ、わがままの意味を間違えないように。」ーーーー

ゲストプロフィール

千田浩太(チダコウタ)
秋田県出身。地元の高校を卒業した後、明治大学文学部考古学専攻へ進学。幼少期から経験してきたピアノへの情熱から、パリへの音楽留学を経験する。パリから帰国後、実家の営む佃煮屋である(株)千田佐市商店の経営に携わりつつ、みずからの留学での経験を活かし、地方でも音楽をはじめとする様々な文化が日常的に存在する空間を創り出すべく、様々な活動を行っている。

ーー高校時代までについて教えてください。

秋田県で佃煮屋を営む家に生まれました。性格としてはわんぱく少年でしたね(笑)。幼少期から様々な習い事を経験しました。主にスポーツとピアノをやっていました。現在ピアニストの兄がいるのですが、これがいわゆる出木杉君のような人で、ピアノの腕前でも何もかも敵わなかったんです。周りの人にも比較されてずっとコンプレックスを感じていましたね。これは結構自分に影響を与えていると思います。また両親が結構厳しかったので反発する時期もありました(笑)。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

幼少期の千田さん。佃煮づくりの過程のようだ。

中学時代はピアノは続けつつ、体力をつけるために陸上部に入りました。順位的には振るわなかったです(笑)。でも、最後まで辞めませんでした。小学校の時に剣道を習っていたんですが、そこで先生にどんな困難があっても立ち上がってこいという事を叩き込まれていたんです。一度始めたことは最後までやりきるという意志があったので辞めなかったんだと思います。

そして高校については特にこだわりなく入ったんですが、余りにも高校の教育方針が僕に合わなくて苦労しました。僕自身勉強は好きなんですけど、課題の山を淡々とやらされる過程が本当に嫌だったんです。部活は音楽部に所属していました。もともとゆるゆるの部活だったんですが、僕自身観客に適当に準備してきた演奏を聴かせることにすごく憤りを感じていて。協力者と必死にこの状態を変えるべく行動したのですが、あまりうまくはいきませんでした。演奏は本気で作り上げたいという思いを共有することに苦労しましたね。

ーー大学入学後の活動や生活について教えてください。

もともと音大に進学したかったのですが両親に認めてもらえず、次に興味のあった歴史系の学部に進学することにしました。大学での勉強はとても楽しかったですね。もともと想像することが好きだったので、遺跡の現場や報告書を見て、その様子から様々な思いを巡らせることが出来たので、とても良い経験になったと思います。

特に印象に残っているのはサークル活動ですね。軽い気持ちであるピアノサークルに加入したんですが、そこには音楽に本気で取り組む人たちばかりいたんです。自分も負けたくないと思って必死に取り組みました。また、他大学の音楽サークルと繋がる六大学ピアノ連盟というものがあって、企業と交渉する役の人がいたり、サークル間での大きな演奏会を開催したり、合同で様々な企画をしていました。そのうち、明治大学側のピアノサークルの会長として活動していたのですが他者との関係性や、またサークル運営を経験したことは現在の会社経営にも本当によく生かされていると感じています。

もちろん、遊びも全力でしたよ(笑)。ただ、サークル、授業、遊び。この3つについてはきっちりメリハリをつけて取り組めていたんじゃないかと思っています。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ーーパリへの留学について教えてください。

大学時代に、夏休みなどを利用して海外のピアノ講習会に参加しに行っていたんです。そこでの刺激や、サークル活動でピアノをやっていたこともあって音楽への興味を捨てきれなくなったので、両親には絶対に家業を継ぐという事を条件にパリへの留学を認めてもらいました。

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パリではフランス語があまりしゃべれなくてレッスンの時に苦労しましたね(笑)。でも、パリでは素晴らしい経験をしました。それは芸術にあふれた、まるで劇場のような街で生活できたということです。芸術鑑賞のチケットも安価で、どこもかしこも芸術にあふれていました。日本で芸術鑑賞というと、どこか高価な体験のイメージがあると思うのですが、パリでは誰もが日常的に芸術に触れ合っていたんです。この体験は僕の価値観にものすごく大きな影響を与えましたね。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ーー進路はどのようにして決めましたか?

そもそも佃煮屋をなんで継がなくちゃならないんだ、と思っていたのですが、パリへの留学を経て、「表現活動はどこでもできるじゃん!」ということに気づいたんです。そこで実家を継ぐために、まずは免許を取って実家の経営を手伝いながら、文化を地方でも広げていけるような活動を並行して行おうと決めました。

ーー現在行っている活動や仕事について教えてください。

現在は、家業である佃煮屋の経営を手伝いつつ芸術を地域に広めていけるような活動を行っています。例えば、僕が入社して新たに創設した文化事業部のような部門では、東京でしかそれまで触れられなかった様々な芸術を、ここ秋田でも体験できるように取り組んでいます。主に音楽に触れ合う機会を創出できるような活動をしているのですが、これが実は本業である佃煮屋の経営にも大きな相乗効果を生み出しているんです。「クラシックと佃煮?」と思うかもしれませんが(笑)、日本では現状クラシックを聴く層は比較的富裕層が多く、彼らが顧客になってくれたりするんです。いわゆる宣伝効果ってやつですね。

また、現在いらなくなったピアノを各所から引き取って、様々な場所にフリーピアノとして設置するという取組もしています。そこには交流ノートのようなものも置いてあるんですがそれを見たり、また設置場所に足を運んで実際に見てみると、本当に多種多様な人々が弾いてくれていることに気づくんです。家でピアノを弾けない子供やご年配の方、また弾いている人の隣で歌っている人もいるようです。町中で音楽が聞こえる日も近いのではないかと、胸を躍らせています。

ーー学生生活においてやってよかったこと、やっておけばよかったことはありますか?

やってよかったことは、サークル活動で組織の中に身を置いたことですね。僕って、結構わがままな意見を考えるんです。でも、そのわがままが一般的な意味のわがままではなかったと感じています。社会に出れば必ず組織のなかで誰かと関わります。そのうえで、じゃあこの環境で僕のわがままを通すためにはどう行動してどのような影響をみんなに与えればうまくいくのか。それをサークル活動などで学んだ気がします。

やっておけばよかったことは、もっと競争が頻発する環境に身を置いておけばよかったという事ですかね。もっと切羽詰まった経験をしておけば良かったと強く思います。学生のうちから競争社会に身を置いておくべきだったな、と今は思いますね。

ーー将来の夢はありますか?

僕が住んできた、いわゆる地方のような環境に自分が東京や海外で経験してきたような様々な文化が日常的に存在するようになってほしいし、そうなるように今活動しています。例えば僕がおじいさんになって、ちょっと散歩したときに音楽がどこかかしらから聞こえてくるような環境って素敵ですよね。

地域活性化にはビジネス要素がないと意味がないという意見も多く見ます。それも正しいのかもしれませんが、僕は損得勘定のみでは成り立たないと思っています。地域のために本気でやったことが、結果的に自分にも返ってくる。これが理想だと僕は強く思います

ーー千田さんにとって大学とは?

 僕にとって大学は、人生の予行演習をやる場所だったと思います。もちろん学問も真剣にやりますが、就職学校の一面ももちろんありますよね。サークル活動や留学、その他の活動を通して、様々なことを「学ぶ」場所であると思うんです。大学生の期間って短いですけど、まさに将来の人生の縮図となる期間ですね。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ーー千田さんにとって人生とは?

「人生について考える」という事を常に続けながら生活し続けること、これに尽きると思います。「人生って何だろう?」と常に考えながら生きていく。これって自分のことを考えてるってことですから、いわゆる「わがまま」ってやつですよね。でも、それがいいんですよ。考えることを辞めた人間はその時点で人間を辞めてしまっていると僕は思います。

ーー最後に読者に向けてアドバイスをお願いします!

 わがままであれ。これです!ただし、わがままの意味をはき違えないようにしてください。その自分のわがままを通すためには何が必要なのか、これをしっかり考えることが必要です。周りの人がそのわがままに納得してくれるように行動すること、これも大切ですね。

みなさんは、この記事を読んで何を感じましたか?

千田さんは「わがまま」の意味を独特に捉え、自分が本当にやりたいこと、夢に向かって周りも巻き込みながら活動されています。できない理由を考えるのではなく、様々な可能性や他者との関係性も常に思考されているのです。

みなさんは自分のやりたい事をやれていますか。できない理由をみつけて諦めていませんか。