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ーーーー受験失敗、度重なる転職それらが教えてくれたものとはーーーー

ゲストプロフィール

磯野 研(イソノケン)
神奈川県相模原市出身。鹿児島ラサールの寮で中高6年間を過ごし、一年の浪人後早稲田大学法学部入学。学部卒業後、慶應大学法科大学院に入学し、司法試験を目指すが失敗。法律の道は諦め、アニメ制作会社、日本電産など数社を経て中小企業診断士の資格を取得し、現在は中小企業のコンサルタントとして活躍するとともに、海外向けに金継ぎのECサイトを運営している。

ーー中学時代までを教えてください。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

神奈川の相模原で生まれ育ち、曽祖父、祖父、父は教師という家庭で育ちました。そういう家庭で育ったため、親は私に勉強をさせようとはしていましたが、教師には小さい頃からなりたくなかったです。

小学校の放課後は勉強そっちのけでゲームばかりしていました(笑)当時はスーパーファミコンが流行っていたのですが、私がクリスマスに買ってもらえたのはスーファミではなく、そのライバルであったセガのメガドライブというゲーム機でした。人と違う選択をするようになったのも思い返せばこれがきっかけだったのではないでしょうか(笑)

そうは言ってもやはり親は私に勉強をさせたかったので、中学受験をして中学は鹿児島ラサールに行くことになりました。受験をして合格したのは良いのですが、入って2ヶ月で自分には校風が合わないということに気がつきました。ラサールははっきりと目標が決まっている学校で、医学部に行くか東大に行くか、です。この目標に向かって中高は8人部屋で軍隊のように規律を持って過ごします。当然ゲームをする自由なんてほとんどありませんでした。このような環境は私には合いませんでした。

今思い返してみてラサールに行って良かったと思うのは、地方から見ると東京ってこんなに輝いて見えるんだと気づけたことです。鹿児島で働くとなると医者になるか起業するか、というくらいしか選択肢がないように思えました。

ーーそんな中早稲田大学に行ったそうですが、どのようにしてその選択に至ったのでしょうか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高校では公民の授業が好きで、法律に興味を持っていたため、まず法学部に行きたいという思いがありました。そうなると東大の法学部を目指すという流れになるのですが、僕は東大だけでなく、早稲田、慶応や一橋などのオープンキャンパスに行き、いくつかの大学を検討していました。東大が微妙だった理由として、ラサールの人は多くが東大に行くため、大学でも高校の時のヒエラルキーに取り込まれてしまうという点があります。過去を断ち切り自由になるためにも東大とは別の学校も視野に入れていました。

早稲田はとても楽しそうな印象でした。もともと面白い学校という話は聞いていたし、オープンキャンパスでも学生が自由に過ごしている印象がありました。読書好きの自分にとって図書館が素敵だったのも魅力の一つです。また、特に早稲田法学部の入試試験の問題が好きでした。とても理路整然としていて、こんな問題を作る学校、学部は面白いだろうなと思いました。

現役のときはうまくいかず、浪人して早稲田の法学部と慶応のSFCに合格しました。どちらに行こうか考えた時、やはり法律を勉強したいと思ったので早稲田を選びました。法律は人間の生き方を規定している学問であることに魅力を感じていたし、法律を学べばどこでも働けて、公務員にもなりやすそうだと思ったのも選んだ理由の一つです。

ーー大学では何をされていましたか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

憲法や法哲学などの勉強を主にしていました。憲法に興味を持ったのは何か漠然とした大きな話が好きだったからです。憲法は他の法律と比べてもとても抽象的で応用の幅がとても広かったです。ですから将来は憲法の研究者になりたいと思っていました。自分はクライアントにどう奉仕するか、を考えるのが苦手だと思ったので、弁護士などはあまり向いていないと思っていました。

大学では本当に勉強ばかりでしたが、あとは試験監督や家庭教師、ケーキ工場のバイトをしたり、筋トレをやっていたくらいのものですね。学部卒業後はロースクールに行ったため、就活しなくて済んだのは良かったです(笑)

ロースクールは新しくできた慶応の法科大学院のところに行き、司法試験を目標としていました。あまり知られていないかもしれませんが、実は司法試験を受けるというのはとてもリスクの大きいことです。まず受験やその勉強のために新卒カードを捨てなければなりません。そのため、落ちてから大企業に入るのはほぼできないのです。一方で、再受験をやめるというのもとても勇気のいる選択です。今までの勉強をしてきた時間を考えるとここで諦めるのはもったいない、そう考えてずるずると30代まで受験を続けるというのもよくある話です。

結果として、私は司法試験に落ちてしまいました。受験勉強をしていた当時は、落ちることを考えないように必死に勉強をしていました。しかし落ちてしまいます。私は再受験はせずに、きっぱりここで諦めることにしました。正直試験勉強をするのも苦痛でしたし、周りからまだやれるよ!と言われているうちにやめるのが華だと思い、やめる決断をしました。

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ーー司法試験を諦めてからはどうされましたか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

結婚式の様子です

人生を賭けた試験に落ちたのだから、もう好きなことをやってやろうと思い、アニメが好きだったのでアニメ制作会社に入りました。しかし、その実情は収入が低く、月残業200時間ほどと労働環境も相当悪いものだったので、2,3ヶ月でやめてしまいました。

人生を賭けた司法試験に落ち、好きだったアニメ会社も辞めてしまった。私は方向性を変えて、好きなことではなく得意なことを仕事にしようと思いました。

次は京都にある日本電産という会社に就職しました。今後はEVが大きく伸びると思ったからです。そこでは法律の知識が活かせると思い、人事の仕事をしていました。しかし、ここも5年ほどで辞めてしまいました。大企業という風土があっていなかったからです。大企業では、決められたことを決められた通りにやる、ということが求められ、それが評価されます。自分はそういう仕事が苦手でした。ここを退職してからはヤンマーの子会社でまた人事の仕事をやったりしましたが、やってみて自分は組織に向いていないのだと思い、辞めてしまいました。次は中小企業診断士の資格を取ろうと思うようになりました。

組織に向いてないと分かったので、自分で独立して生計を立てる必要があります。そのため、何か資格を取ろうと思ったのですが、社会人から取る資格として人気なのが、中小企業診断士と社会保険労務士です。私は地方でコンサルタントをやりたいと思っていたので、中小企業診断士を目指すことにしました。

この資格勉強の期間は、勉強の他に金属加工の技能実習を習いにも行っていました。司法試験の時の失敗から学んで、今回の試験も失敗した時のことを考えて、何か手に職をつけたいと思い、溶接などを10代に混ざりながら勉強していました。この時学んだことは、現在中小企業のコンサルをするときに、実際に現場がわかるためとても役立っています。技能実習も習い終えて、中小企業診断士の資格も無事合格することができました。

ーーその後はどのような仕事をされていましたか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

彦根商工会のセミナー講師をやった時の様子です

滋賀県の彦根商工会議所に雇われて、好きに色々やることができました。ここでは今までとは違い、自分らしくはつらつと働くことができました。自営業だと、自分がやりたくない仕事や人とは関わらない、という選択を取れるためストレスなく仕事をすることができました。

この仕事をしている中で特に印象深かったものは日本の伝統工芸です。滋賀県には国が指定している伝統工芸品が三つあり、その一つに彦根仏壇というものがあります。それを作っている団体と仕事の中で出会うことができました。(中小企業のコンサルは良くも悪くも色々な会社を見ることができます。その中で思いも寄らない会社に出会えることはこの仕事の魅力の一つです。)

以前まで私は伝統工芸に関心は全然なかったのですが、現在工業製品がありふれている中で、手作りのものを見るとそれだけで何かありがたみや価値を感じます。工業製品が世の中に溢れすぎてしまったので、一周して手作業のものに今は可能性を感じます。一方でまだ伸び代があるだけで最大限魅力を引き出せてないな、ということも伝統工芸に関わっていく中で感じました。

現在伝統工芸が抱えている問題はいくつかありますが、その中の一つで生産元から消費者に届くまでの間に仲介者が多く存在しているので、生産する職人さんにあまり還元されないということがあります。この資本主義社会の中で、作っても作ってもお金があまりもらえなければ続いていきません。職人さんに利益がきちんと還元される、そんなビジネスモデルを作りたいと思っていました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

磯野さんが運営するECサイトの様子です!

そう思い、自分で伝統工芸品のECサイトを開くことにしました。このECの特徴はもちろん、職人さんに利益を配分することです。持続的なビジネスモデルで続けたいと思っています。

このECサイトでメインとなるのは金継ぎです。

金継ぎは、割れや欠け、ヒビなどの陶磁器の破損部分を漆によって接着し、金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法である。 wikipediaより参照

このECサイトは海外をターゲットに展開する予定ですが、それにはいくつか理由があります。一つはアメリカで金継ぎが注目されていること。伝統工芸とは本来、現代アートのようにその背後にある情報や、受容されている背景に特徴があります。金継ぎでは社会の分断をつなげる、といった東洋文化のマインドフルネス的な文脈からアメリカなどでは注目されています。次に、「日本」というブランドを使えることがあります。日本において伝統工芸の世界では東京と京都以外は田舎もののような扱いです。国内においては滋賀ブランドではあまり受け入れられないのです。しかし、海外に出してしまえば「滋賀」ではなく「日本」と言うことできます。そういったブランド的な観点からも海外市場を選びました。

しかし、このECをやるにあたって、割れた器を得るのが難しいという問題があります。海外では金継ぎを売るためにわざと器を割る人もいるようですが、それでは本末転倒です。金継ぎができた背景、その思いを考えると自分たちで割っては意味がない、そのために器探しには苦労しても必死に探しています。

これまでの人生を振り返って思うのは、このようなことはしっかりと本業があり経済的に余裕があることが大事だということです。全財産をかけてしまうと、失敗したときに立て直すことができません。他に収入源があれば持ち直すことも可能です。また、経済的な余裕は同時に心理的な余裕にもつながります。司法試験など今までの失敗を通して、このようなことを学ぶことができました。

ーーこれまでの人生でやってよかったこと、やっておけばよかったことは何かありますか。

やってよかったことは人の話を聞く練習です。人の話を聞くのは、意外と難しく練習する必要があると私は考えています。私はたまたまそのような機会があったのですが、聞き上手な人は信頼を得やすいと思います。よく話を聞く人の方がモテるじゃないですか(笑)

やっておけばよかったこととしては、海外をもうちょっとみてみたかったな、ということですかね。

ーー最後に、磯野さんにとって人生とは?

私にとって人生とは、失敗によって深みを増すものです。大学の卒業式の時に大隈重信の言葉を聞きました。「君たちは必ず失敗する。失敗した時に、立ち直る助けになるものは大学の学びだ」。私もこれまで多くの失敗をしてきましたが、大学での学びやこれらの失敗が今に繋がっていると思っています。漆の色は歳を増すたびに変わっていきます。人生もそのようなものではないでしょうか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

奥様とともにオンラインでインタビューを受けていただきました!

この記事を読んで皆さんはどう感じましたか。

磯野さんは司法試験の失敗や、数度の転職などを経験されましたが、それらを前向きに捉えることで、その時の教訓を生かし、現在にも繋げています。全力をかけて取り組んだことが失敗してしまった時、その時は絶望してしまうかもしれませんが、その経験がその後の人生で思わぬ助けになることもあるかもしれません。今回の磯野さんのお話から、そのような心持ちを学ぶことができます。

▼磯野さんが運営する金継ぎのECサイトはこちらから!▼

https://kintsugilabo.com/