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ーーーー大学在学中、サッカースクールを立ちあげるにいたった経緯とはーーーー

ゲストプロフィール

鈴木聡太(スズキソウタ)
愛媛県松山市出身。地元の小中学校を卒業後、松山東高校に進学。小・中・高とサッカー部に所属していた。高校卒業後は香川大学法学部に進学し、後に同大学教育学部に転学。現在はサッカー部でプレーするほか、サッカースクールESを立ちあげ指導者としても活躍している。

ーー高校入学までを教えてください

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

子供の日の写真で、毎日笑っているような子供だったそうです。

幼少期には、両親が体育の先生をしていたこともあって、様々なスポーツに触れていました。例えばサッカーや野球、テニス、なぎなたなどです。なかでも、小学校2年生のときにスポーツ少年団に入ってからは、特にサッカーに熱中していましたね。好きなことにはトコトン熱中していました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

小学3年生ぐらいの写真で、この時、代表戦にはまっておりお気に入りの日本代表の手袋をしています。

そのチームは割とコーチが頻繁に代わるところで、コーチによってチームの雰囲気ががらりと変わりました。特に小学校で最後にチームを率いていたコーチとの出会いがとても印象的で、サッカーでプロになるには、少なくとも県でトップレベルの実力が必要であると教えてくれるなど、サッカーの楽しさだけではなく、厳しい一面も伝えてくれました。もともと野球をしようかとも思っていたので、そのコーチがいなければ、中学・高校でサッカーを続けることはなかったかもしれないと思います。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

サントスキャンプに参加した時の写真。ネイマールを教えた指導者のベッチーニョの指導の基、全国各地のサッカー少年と練習をしています。

そうして中学生になるタイミングで、プロになりたいという思いから愛媛FCのセレクションを受けに行ったんです。ただ、このセレクションには落ちてしまいました。そのため、他のクラブチームからの誘いもありましたが、親が忙しく、あまり迷惑を掛けられないと思って地元の中学の部活に入ることにしました。良い先生が来るということを知っていたということも決め手になりました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

中学2年生の時に、岡山の遠征先で試合をした時の写真です。大雪の中での試合は初めてでとても新鮮な気持ちで試合をしました。

しかし、中学校の部活では早めにレギュラーに定着し、だらだらと過ごしてしまった感じがしています。両親とは全国大会でベスト8に入れたらブラジルに留学させてもらうという約束をしていましたが、中学校の部活は県大会も厳しいレベルでした。そのころから、現実を見始めたという印象があります。

中学校では、やんちゃな感じの生徒でした。しかし、あるとき学校でお菓子を食べて、親も学校に呼び出されて怒られて…。これをきっかけに、「親に迷惑をかけちゃだめだ」と、もう少し考えて行動するようになりました。中学1年生の夏休みの前くらいのことです。これを期に、性格にも少し変化が生まれたような気もします。そうしてそれまではサッカーと遊びが中心であまり勉強をしてこなかったのですが、中学2年生になったころから真面目に勉強もし始めました。進学先としては県内の松山東高校を志望していたのですが、学力的には少し厳しいと言われていました。しかし、ちょっとずつ勉強をしていくうちに、学校のテストでは点がとれるようになっていきました。ただ、どうしても実力模試の点数が上がらず、とても辛い思いをしました。周りがどんどん進学先を決めるなか、自分だけ成績が伸び悩んでいて…。振り返ると、高校受験期が人生で一番きつい時期だったかもしれません。

しかし、結果としては一般入試で合格することができました。受かったときは、意外とあっさりとした気持ちだった覚えがあります。

ーー高校時代はどうでしたか?

高校でも、サッカー部に入部しました。当時の3年生がめちゃくちゃうまかったのはもちろん、練習のときに、初めて自分より上手い同級生がいるという状況に身を置くことになったことが新鮮で、「絶対にメンバーに入ってやる」という思いで練習をしていました。結果として1年生のときの総体でメンバー入りすることができ、とても嬉しかったのを覚えています。「俺が試合決めたろう!」と思っていました。もしかすると、少してんぐになっていた部分もあったかもしれません(笑)

学校では、みんな真面目な感じだったので「素を出したらいじめられるんじゃないか」と思い、1年生の間は静かに過ごしていました(笑)高校は学校行事が盛んで、特に運動会に力を入れているところなのですが、このころはあまりそうした活動に力をいれていませんでした。言い方は悪いですが、行事にうち込む人を少し馬鹿にしていたといってもいいと思います。

6月に3年生が引退してからも、部の先輩と仲が良く、すごく楽しかったです。チームも県内で結構強くて、新人戦では県で3位になりました。しかし、個人的には追い抜かれる心配が無かった一方で、追い抜いてやろうという気概も少し薄れてしまっていた時期でした。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

E1リーグの試合で県内の強豪チームと試合している時の写真で、おそらくチームを鼓舞しています。

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そうして2年生で迎えた総体の後、自分たちが最高学年としてチームを引っ張る時期になりました。上級生がいなくなったことで、サッカーのことについて真面目に考えるようになったと思います。AチームとBチームに分かれてチーム内に軋轢が生まれるということもありましたが、試合中に声出しをするなどしてチームが勝てるように努力していました。3年生としての最後の試合である総体で負けた時に、久々に泣いたのが印象に残っています。

そうして6月の総体が終わった後、僕は選手権まで残るか引退するかについて選ばなければいけなくなりました(※選手権では、夏から予選が始まり、全国大会まで進むとセンター試験直前まで試合があります)。しかし、選手権まで残るとなると勉強の時間は限られ、おのずと浪人しなければならない可能性が高まります。それに周りが勉強していたので、彼らの姿を見て自分も勉強をしたいという気持ちが芽生え、ここでサッカーには一区切りつけることにしました。

そうしてサッカー部は引退したのですが、夏休みに入る前あたりで、応援団の友人に誘われてグループ長をすることになりました(※学校には4つのグループがあり、それぞれのグループにクラスが割り振られ、学校行事などで競い合います)。軽いノリでやると言ってしまったんですね(笑)しかし結果としてこの決断が、自分の人生のなかでは重要なポイントになりました。行事にむけて色々と計画したり、外部の人と連絡をとったりと、自分にとって初めての経験が多くとても勉強になりました。また、人を楽しませることが、非常に楽しくもありました。こうした経験が、現在の自分の行動力などにつながっていると思います。

ーー受験期はどうでしたか

受験にあたって、法学部を目指すことにしました。松潤の99.9を見てかっこいいなと思ったのがきっかけです。周りが勉強をする環境だったということもあり、勉強自体はあまり苦ではありませんでした。ただ、暗記は相変わらず得意ではなかったのですが、暗記科目を最後まで残してしまっていて、面談で志望校のレベルを下げた方が良いと言われてしまいました。悩んだのですが、受からないところに挑戦するよりも、受かるか受からないかというところに挑戦しようと思って志望校を下げることにしました。ここだけは、自分の意志ではなく人の意志で動いたなという印象があります。

しかし、前期の試験では不合格という結果でした。当日におなかを壊すくらいには緊張していたので、対策も万全ではなかったのかもしれません。落ちてしまった事に関しては切り替えることができましたが、いけると思っていたところで落ちたのがショックで、内心すごく焦りました。それからは後期試験の対策を進め、万全の準備のもとで香川大学を受験しました。浪人は無理だなと思っていたこともあり、合格を知ったときには、素直に嬉しかったです。

ーー大学ではどのような事をされていますか。

大学に入ってからは、6月くらいまでほとんど何もしていませんでした。フットサル部には入っていたのですが、ゆるい雰囲気でやっているところだったため、あまり面白くなくて…。そのときはyoutubeを見てだらだらする、みたいな生活をしていたと思います。そうすると退屈になって、サッカー部に入ろうと思いました。もともと練習などは楽しかったんですよね。お金がかかることなどがネックで当初はサッカー部には入らないと思っていたのですが、それもいいかなと思って(笑)サッカー部に入ってからは、周りがサッカーをする人達なので気もあう友達も増え、とても充実していたと思います。

ーー転学をしたきっかけについて教えてください。

もともと学校では法律の勉強をしていました。成績もある程度上だったので手を抜いていたわけではないのですが、あるとき「これ面白いか?」と思ってしまったんです。この状況は弁護士になったら変わるのかと疑問に思い、法律事務所で職場体験のようなことをさせてもらうことにしました。そうしたところ、弁護士になってからもずっと同じような状況が続くと知りました。小さいころから楽しいことをしようと思って生きてきたので、自分がこれでお金を稼いでいっても幸せになれないかもしれないなと思ったんです。

そうした時、ある人に「好きなことと、得意なことと、続けられることは違うよ」と言われたんですね。そこで、自分の嫌いなこと、できないことなどを全部書き出してみたところ、自分がずっと続けられそうなこととして残ったのがサッカーだけだったんです。そして、自分がサッカーにかかわれる方法として教育学部に行って先生になり、サッカーの指導者になることを考えるようになりました。そこからは早かったですね。「じゃあもう転学しよう」という感じで。そうして、教育学部に転学しました。

ーーサッカースクールESを立ちあげるまでの経緯を教えてください。

新型コロナが流行ったことが大きなきっかけでした。たくさんの人が何もできなくなった時期なのでマイナスなイメージがありますが、自分にとってはこれがプラスに働いたと思います。

新型コロナが流行ったころ、部活動ができなくなってしまったんですよね。そこで暇になって、また大学1年生のときのような生活をするようになってしまいました。そこで、「退屈だな、何かしたいな」と思うようになり、自分の人生について考えるようになりました。そこでサッカーにたどり着き、スクールをはじめることを考えました。当時怪我をしていて、外部のコーチをやっていたこともきっかけだったと思います。そこで、まずサッカー部としてスクールを作ることにしました。そこで部活の後輩のコーチに話を聞きに行き、グラウンドを使わせてもらえることになったのですが、そうした場合にはそのコーチが教えるチームの傘下にスクールを作ることになるので、大学の名前は使えなくて…。そうすると部活動でやりたいと思っていたこととは離れてしまうので、部としてではなく個人でそのスクールを運営することを考えました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

スクールに5人がそろった時の写真です。この日の練習は上手くいかなかったことが多く、自分のなかでいろいろと考えさせられました。

当初は差別化を図るために英会話サッカースクールをはじめようとしていたのですが、そうしたときに、保護者が忙しくて役員ができないから、という理由でサッカーができない子どもがいるということを知り、保護者役員なし・週1のサッカースクールに路線変更しました。大変だったのは集客です。なかなか人が集まりませんでしたね。地元ではないので知り合いもおらず、どうしたらいいのか全くわかりませんでした。そんな中で、たくさんの方に協力して頂きました。そのご協力などもあり、7月の最初に初めての生徒がグランドに足を運んでくれました。そこからは少しずつ子どもたちも集まりはじめました。今では5人の子どもたちが生徒としてスクールに来てくれています。

基本的に未経験者を対象としているので、指導するときには経験者にとって簡単な事でも嚙み砕いて説明する必要があります。例えばドリブルをする時に強く蹴りすぎてしまう子に対しては、「次のマーカーまでに10回ボールにタッチしてね」と伝えるようにです。上手くいかないこともありますが、子どもたちが上手くなっていくのを見ると本当に嬉しいです。他のスクールでは、怒られることも多く、子どもたち暗い顔でサッカーをしているのを見かけますが、このスクールではシンプルに楽しくサッカーができていると思います。

ーー今までの人生を振り返って、やってよかったこと、やっておけばよかったこと、そして読者に向けてアドバイスはありますか。

やっていてよかったことは、自分の考えを固定しないことです。自分自身、幼稚園生のときには甲子園に行くことが、小学生のときにはプロサッカー選手になることが、高校生のときには弁護士になることが目標でした。また現在は、サッカースクールを作ることを考えています。自分が成長するにつれて価値観なども変わるものだと思うので、人の意見を聞いて納得したらパっと自分の考えを変えることも必要かと思います。

やっておけばよかったと思うことは、新しいことにもっと早く触れることです。今まで自分から新しいことに触れるという経験がなかったので、興味がなくても新しいものに一回は触れておくと良いと思っています。

アドバイスとしては、自分がしたいことを実現するのが難しいと思った時に、できない理由を考えるのではなくできる方法を考え、チャレンジして欲しいです。チャレンジして失敗しても元の人生に戻るだけで、チャレンジしたらもしかしたら何か変えられるかもしれません。自分は何かする時はいつもこのように考えて物事にチャレンジするのでなにかチャレンジするときはこのように考えたら少し気持ちが楽になるかなと思います。

ーー将来の夢はありますか?また今後どんな人生にしたいですか?

最終的には、サッカークラブを作り、そこでコーチをしたいと思っています。勝ちを目指さない、純粋にサッカーを楽しむチームと、日本一を目指すチームの2つを作り、どちらも行き来自由にすることで子どもたちみんながサッカーを楽しめる環境を作りたいです。

そして、楽しく挑戦しつづけられる人生にしていけたらと思っています。毎日同じ作業をするのではなく、指導者のライセンスをとるなど、少しづつ積み上げていく。そしたら、なんでもできるんじゃないかなと思います。

ーー最後に、鈴木さんにとって人生とは?

どれだけ自分にとって楽しいことができるか、だと思っています。自分にとって楽しいことができていれば、それに付随する嫌なことは乗り越えられるのではないでしょうか。

この記事を読んで皆さんはどう感じましたか。

自分が楽しいと感じることを中心に人生を設計するということは、誰にでもできることではないかもしれません。しかし、自分や周りの人の幸せを考えたときに、「どうすれば楽しく挑戦していられるか」を考えることはとても重要な事なのではないかと思います。

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