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ーーーーお笑いとは、全員が楽しめるWin-Winなもの。そして、僕という人となりを全部表現できるものーーーー

ゲストプロフィール

モザンレーション
慶應義塾大学お笑いサークル「オーケイズ」15期のお笑いコンビ。大学生M-1グランプリ2019で優勝。

高橋海(タカハシカイ)
2000年6月8日横浜出身。公立小学校を卒業後、中高一貫森村学園へ進学。その後、慶應義塾大学で一年生からお笑いの活動を始める。コンビではツッコミ担当。ネタも考えている。

下島力(シモジマリキ)
2001年1月6日神奈川県出身。中高一貫森村学園のバスケ部で現在の相方高橋と出会い、お笑いを始める。コンビではボケ担当。

ーー小学生時代までのことを教えてください。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高橋:9個離れている兄がいる4人家族で育ちました。でも兄と年が離れていたため、ほぼ一人っ子のような感覚でしたね。小学生の頃は、特に何かを極めていたわけではありませんでしたが、目立ちたがりで、クラスでふざけたりすることが好きでした。現在のコンビではツッコミを担当していますが、性格的には昔からボケなんです。なので、コンビでも自分がネタを書いており、ボケも考えています。幼い頃から藤子F不二雄作品が好きで、ドラえもんなどをずっと読んでいました。その中で、後のお笑いにも生きてくる、こんなものがあったらいいな、こんなものがあれば人は喜ぶなという思考が生まれたんだと思います。

中学進学にあたっては、いろいろ理由がありますが、小学校5、6年生の時に、周りにやんちゃな子が多かったので、新たな環境に行きたいと思い受験を決意しました。そして、オープンスクールで社会科の先生がとても面白かった森村学園に惹かれました。両親はやりたいことを応援してくれるタイプで、自分が中学受験をしたいと言ったら塾を探してくれたりしましたね。

ーー中学時代のことを教えてください。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高橋:中学では授業の回し役のような存在でした。というのも、先生と仲良くなり、「こいつがいると授業が円滑に進む」と思われていたんです(笑)そのため、先生から「こういう授業にしたい!」というような裏事情も聞いており、自分でもどのようにクラスで振る舞えば良いのかよく分かっていました。そんな役割だったからか、中学校三年生のクラス替えの時に、「自分をこのクラスに入れてこういうことをして欲しいんだなー」という先生の意向が露骨に伝わってきましたね(笑)その時の先生が新任の先生であったため、クラスを盛り上げてほしいというような旨を、実際にクラス替えの時に先生に言われました。それがプレッシャーで、新任の先生とも気が合わなかったので、苦しみました。

現在の相方である下島とは、中学校一年生の時のバスケ部で知り合い、めちゃくちゃ仲良くなりました。今と変わらずふざけあっていたと思います。声をかけた理由は、人となりが面白くて、みんなの愛されキャラだったからです。自分は、自分のダメなところを見せたくないタイプなのですが、彼は人たらしで、そこがいいなと思ったんです。中高一貫でしたが、高校からの編入がない学校だったので、部活の同期みんなとは6年間仲良くしていましたね。

ーー高校時代のことを教えてください。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高橋:高校時代の一番の思い出は文化祭です。文化祭もクラスごとではなく、やりたい人がやるという少し変わった学校でした。そこで、中学校三年生、高校一年生、二年生の時に、今の相方含め何人かとお笑いをしていました。現在のコンビ名を考案したのも、中学校二年生の頃でした。当時は「モザンレーションと愉快な仲間達」という名前でお笑いをしていたんですよ(笑)「モザンレーション」の由来についてよく聞かれるのですが、実はその頃からTwitterが普及し始め、ある芸人さんがテレビで他に同名のものがなく検索しやすい言葉が芸名には良いと言っていたからです。元々は「パパラッチ」という芸名候補が可愛いなと思っていたため、当時「モザンレーション」に思い入れはなかったです(笑)でも、エゴサ云々の利点を考えて、「モザンレーション」というオリジナルのコンビ名に決定しました。実際今でも、エゴサがしやすいので、オリジナルの名前をつけて良かったなと思います。お笑いのネタに関しては、その頃から自分が考えていました。オリジナルでやりたいという強い意志があったので、主に自分が日常で考えたことをネタにしていて、他の芸人のネタなどは、その人の味が出てしまうので参考にしていませんでした。

下島:中高でのお笑い活動は高橋くんがネタを書いていたこともあり、自分はついてまわっていると思われていたと思います。一緒についてまわる金魚の糞みたいな、おまけキャラのような感じでした(笑)勉強もできなかったし、強いて言うならスポーツはそこそこできた学生でした。バンドもやっていたりしましたね。

ーー大学入学後のことを教えてください。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

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高橋:実は大学受験の時もお笑いのことを考えていました。大学でもお笑いを続けたくて、お笑いが一番大きな早稲田大学に本当は行きたかったんです。早稲田を多く受験して、慶應義塾大学は文学部しか受験しなかったのですが、入試形式的に慶應の方が自分にあっていて、唯一合格した慶應に進学しました。

大学進学後は、慶應のお笑いサークルといえば「オーケイズ」しかなかったので、そこに所属し、相方は慶應ではありませんでしたが、呼び込む形になりました。サークルではライブが頻繁にあり、一年生の頃からがっつりライブに出たり、他大学のサークルと対決をしたり、色々な経験を積むことができました。中高からお笑いをしていたこともあって、最初の方からお客さんには良い感触を持っていただき、先輩や他大学の人からも「いいぞ」と名前を憶えていただけましたね。

そして、一年生の12月に大学生M-1グランプリに出場し、優勝しました!嬉しかったのですが、お笑いはタテの社会で他の出場者はほぼ四年生だったため、「いきなりポッと出の一年生が優勝した」ということで、周りの目が厳しくなったと感じました。優勝が少し早すぎたということもあり、以前は「すごい新人だ!」と見られていたのが、「優勝したコンビ」として見られるようになりました。そして、ライブに呼ばれても「どんなもんじゃ」と周りから試されているようなプレッシャーを感じるようになりました。

去年の3月頃からコロナにより、全くライブもできなくなりました。残念でしたが、ある意味、優勝してから感じていたプレッシャーからの解放や、嫌な目線を受けなくて済むようになったとも思います。

下島: 自分は、大学に入ってからやっと自分の人たらしの部分に気づきました。そこから、自分は人に助けてもらって生きていくタイプだと感じて、人生に対する不安が消えたんです。周りの人からも好きなことをしたらいいと言われていて、就職が決まった先輩からは「食うことは俺が面倒を見てやるから、お前は好きなことをしろ」とまで言っていただいているんですよ。将来はお笑いを続けていこうと思っているのですが、自分はもし売れなくても餓死などはしないだろうなと(笑)人に頼れるだけ頼って、成功した時に恩返しをするべきではないかと思っています。

ーー現在の活動について教えてください。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高橋:二年生の頃からプロのライブにお呼ばれすることもありましたが、三年生から学生主体のライブにも参加し始めました。今年の4月のライブに参加した時には、自分たちを見る目もまた変わったと感じました。上の代がもういないということや、新たなネタを用意し技術力も上がったため「よくまだ続いてるな」と再評価された気がします。また、今年は金属バットさんのYoutubeで紹介していただいたり活動の幅が広がったなと感じます。8月にも大学生お笑いの中で一番大きな「大学芸会」という大会に出場しました。結局敗者復活戦止まりでしたが、そこまで行けることも評価されるような大きな大会だったので、敗者復活戦まで行けて良かったねと言われました。

ーーお二人にとってお笑いとは?

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高橋:不思議なものだなと思います。お笑いはどちらも楽しめるWin-Winなものなんです。自分たちも笑わせて楽しいし観客も笑えて楽しいし、サイクルとして出来上がっているから文化としてこれからも終わらないものだと思います。舞台に立っている時は、自分と相方の会話を観客に見てもらっているイメージですが、会話が2人だけで完結せず、他の人が聞いても面白いなと思える。これはカフェで隣にいる人の会話を聞き、面白いなと思うことの延長線上なのじゃないかなと思います。

下島:僕という人となりを全部表現できる場所です。普段他人に見せる自分は一面でしかなく、お笑いでは演技などを通して、普段見せないひょうきんな部分や怒った部分という別の面を見せることができるんです。そういう意味で、自分でありながら自分ではないという「自分を演じる」という感覚を得ます。そして、自分という人間を全てひっくるめて笑ってもらえるものです。

ーー今後の進路について教えてください。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高橋:これは以前相方と話し合ったことなのですが、自分は芸人にはならず就職しようと思っており、相方はプロの道に行くことに決めました。自分でアイデアを出すなど、お笑いと似ている部分があると感じた広告代理店に行きたいなと思っています。インターンに行ってみて、メモの取り方や、話しの仕方がお笑いの時と同じで、自分に向いているなと感じたからです。就活をしていると今までとは違うことをしているなという感覚があるますね。

芸人にならず就職しようと決めたきっかけの一つは、大学生M-1に優勝したことです。優勝したらすごく嬉しいかと思いきや、優勝後のプレッシャーに苦しんだり、優勝がゴールじゃなかったと気づいたりしてしまいました。自分は後から色々悩むタイプなので、芸人としてのゴールは何か考え始めてしまい、その結果、自分にはゴールが見えないなと思いました。お笑いを大学で辞めたらいい思い出として終えれるし、大学でお笑いに打ち込んだという経験は今後もどこかで生きてくるはずだと思っています。小学生の頃から一番面白くありたかったんです。だから、芸人の中でなくても他の職種で「こいつは面白いな」と思われたいですね。これまでずっとお笑いを続けてきたため、根底にあるお笑い道は変わらない気がします。ただ、今後就職した時が自分の人生の一番のターニングポイントになると思います。

下島:高橋くんからプロを目指さないと聞いた時は、一緒にやってきたからショックでしたが、なんとなく続ける気はないんだろうなと察してもいたので、「そっか」と思いました。これまでは高橋くんがプロになるなら自分もなろうと思っていた程度でしたが、二年生の時に高橋くんがプロにならないと決意し伝えてくれた際に改めて考えた結果、自分一人でもプロになろうと決めました。大学卒業後は吉本興業など、どこか事務所の養成所に入ることを考えています。

高橋:モザンレーションとしては、大学卒業とともにコンビは解消となります。相方の芸人になるという覚悟はすごいと思っていて、めちゃくちゃ頑張ってほしいですね。

下島:僕からしたら、就職するということのほうがすごいです。高橋くんと出会ってから、以前から好きだったお笑いを自分たちで始めることができた。そういう意味で、恥ずかしいですけど正直僕が一番影響を受けた人物は高橋くんだと思います。高橋くんにはお笑いの経験値を生かして、就職して、その企業で一番面白い人になって欲しいです。

ーーあなたにとって大学とは?

中高6年間同じ200人と過ごし、大学に入った身としては、大学はやりたいことをやらせてくれる寛容な場です。自分の場合はお笑いでしたが、自分が大学でしたいことや行きたい場所という軸があれば楽しめる場所だと思います。ただ、なんとなく入ってしまうと、思っていたのと違うということが起こると思います。

ーーあなたにとって人生とは?

自分一人では生きていけないので、他人との関わりやコミュニケーションを大切にして生きていきたいです。人が好きな部分も嫌いな部分もありますが、結局は人のことが好きなんだと思います。だから、どのような人に囲まれ、どのように他人に思われ、どのように自分が他人のことを思うかを意識して生きてきました。これは自分の長所でも短所でもあるのですが、どう周りを賑わせるか考えすぎるほど考えて生きてきたんですよね。実はお笑いを辞めるのも、これまでのように相手主体ではなく、自分主体で生きていきたいと思ったからです。だから、他人との関わりを大切にしながらも、自分を大切にして生きていきたいです。

ーー読者に向けたアドバイスなどはありますか?

自分の好きなことは何か理解すれば、どんな形でも自分の好きなことに関われて、やりたいことは実現できるということを知ってほしいです。自分はお笑いが好きで、プロにはなりませんが、高校や大学で好きなことを続けることができましたし、就職をしてもそこで「一番面白くある」ということはできると思っています。