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ーーーー声を聞き、自分を客観視する。それを、皆でやっていきたいーーーー

ゲストプロフィール
高見秀太朗(タカミシュウタロウ)
大阪府羽曳野市生まれ、東京都調布市育ち。桐朋女子高校音楽科(共学)、桐朋学園大学音楽学部を経て、宮城教育大学大学院教職大学院修了。3歳からピアノを始め、第19回日本クラシック音楽コンクール最高位、世界クラシック第2位、モーツァルテウム国際夏期アカデミー コンクール入賞、日本ピアノ調律師協会新人演奏会出演等の実績を残す。高校3年次に音楽を使って社会貢献を行う団体「MECP」を立ち上げ、現在も活動を続けているほか、一般財団法人100万人のクラシックライブ 常勤スタッフとして、全国各地で年400回以上コミュニティ活性化を目指したコンサートを企画・実施している。
ーー中学時代までを教えてください。
小3からは東京都調布市にずっと住んでいるのですが、生まれてからそれまでは大阪府羽曳野市にいました。ピアノは3歳のころ、母親がピアノの先生だったため始めました。本当に小さい時から毎日ピアノを弾かされていたので、ピアノを弾くことくらいしか人生の選択肢にないという感覚でした。特に何の感情も持っておらず、練習をしないと明日が来ないから練習をするというような、言ってしまえば惰性のような部分もありました。 よくコンクールの入賞経験に注目していただくこともあるのですが、進路を決めるために、出るのが当然という空気がある中で参加するなど、決して能動的ではなかったです。ピアノを弾くときは、「今日はここが弾けるようになれるまでやろう」と効率的に弾くことを意識していて、とにかく練習を積み上げて突き詰めるタイプではなかったです。あまり芸術家気質ではないんだと思います。

中学の合唱祭練習。試行錯誤しながら精力的に取り組んでいました
一人で完結してしまうピアノの反動か、小さいころからチームでする何かが好きでした。スポーツとか勉強とかも他の人とやりたいタイプで、自分は仕切りがちなので、 高校まではあえてリーダーにならないようにしながら、みんなで盛り上がれるように気を配っていましたね。中学に入り、本気で取り組んだのが学級委員です。先生がとても立派な方で、その方に3年間ついていました。先生の考え方が今の自分の根幹になっていて、本当に恩師と言っていい方です。自分が学生の時教師を志したのもこの方の影響です。
先生はとにかく生徒を信頼して、任せて、やらせてみて、間違っていたら最後にコメントしてくれました。ちゃんと説明すれば何でもやらせてもらえたので、本当にいろいろな経験を得ましたね。例えば、「皆が歌えるような学年にしたいと思っている」とだけ言われ、僕たち学級委員が、学年皆が歌ってくれるようにするにはどうしたらいいか試行錯誤する、という感じでした。
振り返ると、中学校までは基本的に楽しかったです。ただ、ピアノを弾くために16時くらいに家に帰って、少し休んでから4時間くらいピアノを弾く毎日だったので、部活動や放課後遊ぶなど学校らしいことがあまりできなかったのは残念でしたね。

先生からもらった言葉は、現在も大切にメモとして保存しているそうです
ーー高校・大学時代を教えてください。
高校は、元々習っていたピアノの先生が教えていた音楽高校に入りました。ここで、自分は自分の存在価値に悩むようになります。なにぶん、全員音楽ができる。中には今もプロの音楽家として活躍しているような子がたくさんいて、当時から異彩を放っていました。自分は何をできるんだろうと思っていたところ、私が中3の頃に東日本大震災が起こります。命を助けるわけでもなく、食料を分けるわけでもなく、電気を通せるわけでもない音楽家は、ましてや現地にも赴かず、東京にいてピアノの練習をしている自分はなんの役にも立てないのではないか、無力なのではないかと感じました。自分たちで録音したCDを売ってそのお金を募金してみたりしたけど、その程度しかできないことが悲しかったです。
自己満足な感じが嫌で、もどかしかったです。言っておきたいのですが、これは別に美談でもなんでもなく、満たされない自己肯定感を他者にゆだねてしまっているということです。

高校時代、仲間とのセッション
自分は高校で何をしていくかと考えていた時に、ちょうど手伝いをしていた合唱団できっかけがありました。自分は当時、惰性で音楽をやっていたと思うのですが、合唱をやっている子の表情は、歌うときに明らかに変わります。ちゃんと気持ちが乗った表現を、歌を通して人に伝えようとする彼らのエネルギーに、自分が心打たれました。ピアノ、クラシック音楽では、「作曲された時代のスタイルを学んだ上で弾く」ということも多く、一種の型のようなものがありますが、子どもたちの合唱も、もちろん音を正確に歌いつつ、それでも自分のものとして昇華し、自分の気持ち、メッセージを乗せていて、そこにすごく感動したんです。そこから、「そうか、クラシックも、伝えたいことは何なのかと想像したら面白いじゃん」と思えるようになりました。音楽を身体だけでなく、心でも感じられるようになったのが、この時期でした。
この思いを形にしていこうと思い、始めたのが「MECP」という団体です。高校3年の時でした。ホームページにも寄せているMECPの想いをご紹介します。
「音楽は「心と心をつなぐツール」である」と考えます。音楽そのままではなく、それが相手との「対話」となったとき、言葉にできない何かを「伝え合う」とき、音楽の本当の力を発揮すると考えます。」
小さな劇場やカフェなどで音楽のイベントを開き、お金をためて、東北にボランティアをしに行っていました。色々やっていて思ったのが、例えば仮設住宅から市営団地のような復興住宅に移行していく、地域の分断や混在がある中で、生きるために初めは皆必死にコミュニティをつくっていたのが、だんだんと希薄化、形骸化していっていたということ。そういった希薄化しているコミュニティにあえて「よそ者」である我々がちょっと外から入ってみて、コンサートをつくることを呼びかけて、人が集まると、少し変化が起こる。その中で、同じ体験を共有することで、人をつなげていくことができると考えました。コミュニティの力を生かすこと、教育、音楽の持つ力について気付いてもらうことを目指して、活動していました。
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ーー大学院時代はどうでしたか。
教員になろうと思っていて、宮城の教職大学院に進学しました。教育をしていく際に、ずっと音楽学校にいたというのは不安だと思ったこと、ずっと東京にいたので地方の学校を知りたかったこと、自分がやってきた東北支援の活動をやり切りたかったこと、ずっと通ってきた東北に住んで、肌感覚を持ってみたかったことが理由です。たくさんの学校を訪れた結果、子どもも先生も、地域ならではの環境、体験の格差や考え方のベースなど、やはり東京だけでは気付けないことが多くあると分かったのは大きな学びでした。教職大学院は法科大学院と同じ専門職大学院で、論文の代わりに実践を行うので、自分の興味のあることをけっこう自由にやれて有り難かったです。
今の仕事である「100万人のクラシックライブ」の活動もこのころから始めていました。現在、常勤スタッフとして活動しつつ、MECPの活動や、他の活動もたまに少しやっています。これらに共通しているのは、音楽をツールとして、人と人がつながる活動をしたいということ。私は外国語ができないので日本限定ですが、子どもやお年寄りも、言葉でないコミュニケーションである音楽を通して人をつなげたい。自分自身も、音楽を通してつながった仲間や、子どもたちと今もつながっています。言葉ではどうしても思い込みができてしまうため、こういった非言語のつながりは、今後意識的にもつべき大切な存在だろうと思っています。

これまで40以上の学校でイベント運営を行ってきました
ーー将来の夢はありますか?また今後どんな人生にしたいですか?
社会が良い方向に変わっていっているんだろうなと思っていたのに、実は全然変わっていないんだなということがコロナ禍で明らかになることが多かった、と感じています。オリンピックのごたごたで、ジェンダーの問題がまだ全く初歩的な認識にあることもわかりました。自分と、自分以外の人は違うし、違うことは当たり前で、自分が自分らしくいられればいいということに、もっと多くの人が気づいている、もしくは、もっと多くの人がせめて葛藤していると思っていた。それが、そんなことはなかった。そう感じてしまい、残念に思っていました。例えばこのlifepediaにある皆さんのインタビューでも、自分に今までなかった選択肢に気づき、誰かに優しくなれるかもしれない。そういう小さな優しさへの積み重ねが、社会をよくしていく一歩なのかなと思っています。皆に共通する大きなものがあるように見えても、それはハリボテなんだよ、もうそんな時代じゃないんだよ、ということにみんなに気づいてもらいたい。
ただ、音楽を受け止める感性は人それぞれ違うはずなのに、「音楽は感動の体験の共有」と自分自身もちゃっかり言ってしまっています。つまり、感動を強要するものではないけれど、多様性への気づきこそが、音楽への感動、他者への感動、さまざまな可能性を深めるかもしれない、そんな時間の可能性を提示し続けたいと思っています。[V1]
ここまでお話してもうお気づきかもしれませんが、個人的ないわゆる野望というものはあまりないんですよね。社会に通じていること以外って、実はあまり意味ないじゃないですか。一人でピアノを弾いていたって、何かが変わるわけじゃない。もちろん、車が欲しいとかはありますけどね(笑)

ーー今までの人生を振り返って、やってよかったこと、やっておけばよかったこと、そして読者に向けてアドバイスはありますか?
やってよかったことは、狭い世界なりに、自分と社会について色々考えを巡らせたことですかね。震災のボランティアについても、色々な人の話を聞かせてくれるコーディネーターがいてくれたのでわかったことですが、本当に「たくさんの人の声に一人一人耳を傾けること」の重要性、意味の大きさを感じました。
私は、政治的なことなどに「私はこういう意見です」と表明することが少し苦手だと最初思っていたのですが、色々な人の話、意見を聞いたことが、自分はどう行動すべきか、自ずと定まり、活動継続の契機となりました。また、ミクロに「この人はこういう意見なんだ」と一人一人聞き続けていてもあまり変わらないし、ただマクロにざっくりと「東北はこうあるべきだ」と考えていても誰かを置いていってしまう。そのあたりをどうバランスとっていくかということについては、ずっとこの先も悩み続けていくのだと思います。ただ、ミクロとマクロそれぞれにベースを置いて生きる素晴らしい方々が世の中にはいますので、その間をうまく橋渡しして、「こういう人もいるんだよ」とお見せ出来たらなと思います。
やっておけばよかったことは、現実的に言えば英語、あとは文章力など、言葉での表現力向上です。日本語力というか、自分も含め、これまで出会ってきた多くの子どもたちも、自分の思っていることを的確に言葉で伝えるのはとても難しい。例えば3人が「楽しい」と言ったって、多分そこにはずれがありますよね。それをしっかり突き詰めて、話し合うためには、言葉を尽くして分類しきる必要がある。が、それがなかなか自分にとって難しいです。
アドバイスとしては、自分が何をしたか、ということではなく、本当の意味で「それが自己満足ではないのか?」と厳しく考えること。それが、社会がよくなることにつながっていくのだと思います。全員が社会問題について考えながら生きているわけではないと思いますが、色々な人の声を聞くことで自分の見える世界を広げることが、自分自身を客観視することにつながっていくと思っています。声を聞き、自分を客観視する。それを、皆でやっていきたい。そう考えています。

ーー高見さんにとって大学とは?
けっこう難しい質問ですね。今の大学の状態がいいとはあまり思っていませんが、ただ大学や大学生がどうあるべきなのかについてまだ考えが整理されていません。
間違いなく、自分に全く縁のなかった気づきとの出会いの場所ではあると思います。ただ、その出会いは現状、閉じたものになりがちで、それを自分から広げる努力が必要になると思います。そういったきっかけや、努力を始められるような安定した基盤はたくさんあると思うので、しっかりと気づきに出会えたかな、自分を広げられているかな、と定期的に考えてみるのがいいと思います。
ーー最後に、高見さんにとって人生とは?
あまり自分の中に存在しないです。人生を計画的に、自分ができること、成し遂げられるかもしれないことを最大化するために、アクションプランを立てることは、現実的には必要だと思うけど、あくまで自分だけのもので、社会にとってはどうでもいいことなので、前面に出すものではないと思いますね。あくまでも、「他者、社会がどう変わっていったか」ということについて考え続けよう、他者のために生きようと思っています。

オンラインでインタビューを受けていただきました!
この記事を読んで、皆さんはどう感じましたか。
高見さんは、コンクール入賞など幼少期から輝かしい実績を残し現在も音楽を通し人々の心を繋ごうと精力的に活動されている一方で、社会全体を見渡し「一人でピアノを弾いていたって、何かが変わるわけじゃない」と感じられてもいました。大切なのは、その両方の視点を、社会にいる我々が持てるように努力をし続けることなのかなと感じさせられました。
みなさんはなんのために生きるのでしょうか?
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