スポンサーリンク

ーーーーさまざまな出会いのなかで、なぜ和菓子という美にたどりついたのかーーーー

ゲストプロフィール

村野俊樹(ムラノシュンキ)
愛媛県松山市出身。愛媛県立松山東高等学校を経て、京都大学農学部に在学中。現在は月に一度京都で和菓子カフェを営んでいる。

ーー中学時代までを教えてください。

幼稚園に行っていたころは、絵を描いていたりと、インドアな生活をしていました。自分の外側に表現したものが、形として残ることに喜んでいたのかもしれません(笑)

小学生になってからは、小学校のチームでサッカーをはじめました。とにかくかっこいい先輩がいて、その人のようになりたいと思ったのがきっかけでした。サッカーをしている子どもなら誰しも思うことだと思うのですが、「プロになりたい」と考えるようになったんです。そして、クラブチームに行く方がプロに近いと思うようになり、小学2年生のころにクラブチームに移りました。土日は試合、平日は練習と、小学生時代の生活はずっとサッカーをやっていたという感じです。このころから、遊びもアウトドア志向になっていきましたね。もっと沢山のスポーツを経験しておきたかったなという後悔はありますが(笑)思いついたらとりあえずやってみるという考え方は、この後悔がベースにあるのかもしれませんね(笑)

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

小学校の友達との思い出

しかし、そのクラブチームでは思うように結果を残すことができなくて、自分の実力不足で両親にしんどい思いをさせてしまいました。自分のせいで親が苦しむということが子どもながらに辛くて…。ただ、この経験は、後から考えると「大切な人をどう幸せにするか」ということを考えるようになるきっかけにもなりましたし、そのためには自分がもっと強くならないといけないと悟ったようにも思います。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

小学校6年生のときの恩師とのお別れの日

その後は、そのまま地区の中学校に進学しました。偶然その中学校はサッカーが盛んで、県内でも1,2を争う強さだったんです。そうした環境の中で、サッカーでプロになるのは厳しいかもしれないと、踏ん切りがつきました。そこからは、部活は続けながらも勉強や行事を中心に力を注ぎ、学校生活を送っていました。ただその一方で、課外活動はしませんでした。というより、できていませんでしたね。自分の身の回りで精一杯で、ポイント稼ぎのような偽善に反発していたのもありますが、今考えると視野のスケール感が小さかったかもしれません(笑)

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

中学時代の学校行事

そうして、中学3年生になりました。そこで進路選択を迫られたとき、自分自身、いろんなことを自分でやりたいという気持が強く、自由を大切にしたいと思う性格だったので、その高校の自由な校風は自分に合っていると思ったんです。そうしてその高校を受験し、無事合格することができた訳なのですが、その時の担任の先生も受験の時の心の支えでしたね。

ここまでの人生を振り返ると、小学6年生、中学3年生のときの担任の先生との出会いが本当に印象的でした。2人の恩師は兄のような存在で、彼らの支えがあったからこそ今の自分がいます。小学校、中学校と面白くないこともあったけれど、今思い返すとその時期の生活が輝いて見えるのはその先生たちとの出会いのおかげだったと思いますね。

ーー高校時代はどうでしたか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高校時代の友人たち

もちろん部活にも力を入れましたが、特に注力したのは行事です。通っていた高校は学校行事が盛んな高校で、特に運動会は1年で最も盛り上がります。例えば、近くの森で竹を切ってきて櫓を自分たちで作ったり、一生懸命作った衣装をまとって応援合戦をしたり、脚本や舞台などを自作して演劇をしたり。運動会は夏休み中を準備に費やして盛大に行う行事でした。青春のど真ん中って感じでしたね。全員で感動を創り、全員で感動する価値だったり、チームで同じ方向を向き、本気でぶつかり合う価値が人生にとってとても大きなものであることも身をもって感じられました。

スポンサーリンク

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

大好きな青春の一枚

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

下段、左から2番目が村野さん。部活もとても楽しかったといいます

ーーどのように大学を決めましたか。

ひとことで言うと、やりたいことよりもできることを優先して決めました。やりたいことばかりしていては、その分野を得意としている人には勝てませんし、できることを楽しいことにしていく方が自分も周りもハッピーになれると思ったからです。理系に進んだのも、理系科目ができたから、京大を選んだのも、行けそうだったからです。ただ、これは妥協しているということではありません。自分がたどり着ける限界より少し上を目指すことが成長につながりますので、限界の少し上を常に選択することも同時に考えました。

しかし、現役生として臨んだ1年目は不合格で、浪人をすることになってしまいました。浪人をすることで、お金もかかりますし、自分が社会に出るのが1年遅れます。これがどういうことか分かる年齢にもなっているので、かなりきつい経験ではありました。家族に負担をかけているな、そう思い、大学受験に必要のないことは全く考えず、”家族への恩返し”というモチベーションだけで、1年間頑張りました。毎日18時間勉強し、起きて勉強して寝るといった勉強漬けの毎日。スマホを同僚の部屋に隠してもらうなど、様々な工夫をして自分を追い込んでいました。ちょうど出家したみたいな感じと言えばよいでしょうか(笑) 友達からは、「そんなに努力できるやつだとは思っていなかった」と言われたほどです。

そうした生活のなかで、多くのことを学ぶことが出来ました。特に、ずっと隣で勉強をしていた予備校の友達との経験が印象的です。その友人は予備校でもトップの成績だったので、常にその友人から学ぶこともありましたし、入試当日までずっと一緒に頑張ってきました。その友達さえ受かれば良いと思えるほど大事な仲間だったと思います。そして入試当日。グータッチをして受験に向かいました。しかし、試験を受けてみたところ、全く手ごたえがなく…。2人とも泣いて自室に帰ってきたんですよね。もし自分1人で落ち込んでいたら、耐えられなかったと思います。同じ感情を共有できたのは、とても良い経験だったと思います。本気で頑張った仲間同士だからこそ、お互い励まし合い、次の日へと前向きに立ち直ることができました。

こうした経験から、努力せずして天才と呼ばれる人はいないということを知りましたね。天才のように見えるのは、そこに至るまでの圧倒的な努力が見えていないから。逆に言えば、努力ができるかできないかが何かを成し遂げる要因という訳です。夢や情熱をもって本気で生きていくことの大切さを学んだ1年の浪人時代は、今に生きる経験だったと思います。

ーー大学時代について教えてください。

僕は農学部に進学したので、微生物の研究をするなど、どこかしらで「食」と関わる分野に身を置いています。そのため、周りには食を軸に活動をしている人が多いんです。そのため、そうした人たちに感化され、次第に僕も食に興味が出てきました。そうすると、本当に面白い世界で、人間のベースにある「食」がこんなにも可能性に溢れているとは思っていなかったですね。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

和菓子の前にしていた野菜料理でのポップアップでの一幕

ーー和菓子カフェをはじめた経緯を教えてください。

今まで様々なご縁に支えられながら、沢山のことを学び、体験してきた中で、「人」「食」「美」「感動」「健康」といった要素の重なり合うところで、世界に貢献したいなと思うようになりました。加えて、世界を視野に入れた時に、日本の文化や日本人としてのアイデンティティは大切にしたいと思い、その結果和菓子に辿り着きました。より健康で美しく、日本の文化を取り入れたものってなんだろうと考えたところにあったのが、和菓子でした。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

出店時には、沢山の素敵な出会いがあると言います

「食」って、人間にとって欠かせない活動だと思うんです。昔は、生きること=食べることだったくらいです。そのため、人間の生の一番底にある「食」が充実すればすごく幸せだし平和かなと思ったんです。この世界には余計な欲求を促す仕掛けが沢山のある訳なんですが、足るを知り、食べるということで「生きててよかった」と思える体験ができたら、とっても幸せじゃないですか。現代では、効率を追い求めた食事のスタイルが流行って久しいですが、それでいいのか?と思います。健康に良いもの、環境に良いものを、コミュニケーションをとりながら食べるという幸せな世界になるといいな、そういう思いが今の活動の原点にあります。

ーーお店で提供する和菓子について、特にこだわっていることはありますか?

美味しい味、というよりも「美しい味」を追い求めるということでしょうか。もちろん、お客さんには自分が美味しいと思ったものしか出しませんが、美味しいという評価は三者三様です。そんなこんなで、「美味しい」という基準はあまりあてにしていません。僕は美味しい味よりも「美しい味」を追求していこうと考えています。その方が、普遍的で本質的な料理ができるように思えるんですよね。

ーー今後、どのような人生にしていきたいですか?

抽象的になるけれど、自分の大切な人の幸せを守りたいと思っています。というのも、自分は、もうすでに幸せだと思うんですよね。もう物はいらないし、食べるものはすぐに手に入る。悩みはないし、友達と笑って会話ができる。でも、もう幸せだからこそ、1番苦しいのは大切なものを失ったときだと思います。だから、自分の家族のように、自分の大切な人、自分を大切にしてくれる人を守りたいと思うんです。これは例えばすごく裕福な生活をさせてあげたいということではなく、病気で苦しんでいるときに助けてあげられなかったり、子どもができたとき、「忙しいから遊びに行けない」というような状況になったりといった、相手の幸せを奪うようなことをしないということを指しています。

ただ、あんまり将来のことを考えないようにとも思っています。未来なんて基本的には分からないものだし、今の情熱がいつか点となって将来繋がればいい。まずは、今に全力投球して生きていきたい。そう思っています。

この記事を読んで、みなさんはどう思いましたか?

サッカークラブ、浪人時代の経験から「大切な人を守りたい」と語る村野さん。筆者は、現在の「食」に関する活動も、こうした想いに支えられているように感じました。

みなさんも、自分の大切な人、大切な価値観について考えてみてはどうでしょう?