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ーーーー一人一人が大事にされ生きててよかったと思える社会を体現したいーーーー

ゲストプロフィール
鈴木弘樹(スズキヒロキ)
東京都立川市出身。地元の公立小学校、中学校に進学し、中学3年の夏にカナダへ語学研修に参加。都立小金井北高校在学時もオーストラリアへの留学を経験。卒業後は中央大学経済学部に進学する。小学生のころからコーヒーが好きで、大学生活ではフェアトレードコーヒーサークルでの活動に力を入れるとともに、国分寺のクルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店で働く。また、国分寺の投票率を80%にするという思いのもと「クルミド大学はちマルカレッジ」を立ち上げる。「国分寺の投票率を1位にプロジェクト」発起人。
ーー中学時代までを教えてください。

10歳の頃、習い事の先生と
東京都立川市出身で両親と3歳上の兄との4人家族です。習い事は辞めては始め、を繰り返していましたが、陸上は小5から高校の部活まで続けていました。性格に関しては、親戚や兄の友達を含めて年上の人に囲まれて育ったので、末っ子気質がありますね。今も年上の人と話すのは得意ですが、後輩が来るとソワソワしたりします(笑)幼少期は自分の思いをため込んでしまうタイプで、またうるさく泣き虫でした。
両親が家で味や香りの違いを楽しむくらいコーヒー好きで、自分も小さいときからよく両親に連れられてコーヒーを焙煎するお店に行っており、コーヒーとの出会いは早かったですね。小6の卒業文集では「将来は立川でコーヒー屋さんを開く」と書きましたし、栽培方法などを自主的に調べたりもしていました。中2の職場体験でも国分寺のクルミドコーヒーで働きました。
中学時代は、勉強は嫌いでしたが塾には行っていました。しかし、中学3年の5月に、所属していた陸上部の大会に集中したいから塾をいったんお休みしたいと塾の先生に告げると、「今の成績よりも下の下の高校に入ることになるぞ」と言われたことがありました。勝手に進路を狭められた気がして、カチンときた僕は勢いのまま塾を辞めてしまいました。そして浮いたお金と時間を使って夏休みにカナダに3週間の語学研修に行きました。勉強は嫌いでしたが、小6の時にコーヒー屋を開く方法を色々調べていたところ、「コーヒーは海外から輸入しないとダメだから英語はちゃんと勉強しておこう」という考えに至ったため、英語だけは勉強していました。そして将来的にも英語は必要だろうと思い、思い切って海外に行きましたね。とはいえ、現地でうまく英語はしゃべれないし体調崩すしで、けっこう大変でした。でも出発前の自分には「なんかいけるんじゃね?」という謎の自信みたいなものがありました(笑)今振り返ると、この語学研修が海外に興味を持つきっかけになったと思います。
ーー高校時代のことを教えてください。

高2オーストラリア留学。ホストファミリーと。
高校はグローバル教育に力を入れている都立小金井北高校に進学しました。中学時代のカナダ語学研修でうまくいかなかったリベンジをしたいという思いもあり、高2の1年間オーストラリアに留学に行きました。住んでいる地域・文化が全く異なる人たちと触れ合えたことがとても面白かったです。留学先は人口6000人くらいで中心都市から400km近くも離れている小さな町でしたが、現地の人は優しく、仲間もできて楽しく過ごしていました。高校時代もコーヒーは変わらず好きでしたね。留学先の社会科の授業の中で「自分が関心のある社会課題について調べなさい」という課題が出され、コーヒーについて調べていたところ、途上国問題にあたり、国際協力に関心を持つようになりました。
ーー大学時代はどうでしたか。

手煎り焙煎選手権全国準優勝!
大学は中央大学の経済学部に進学しました。大学説明会の時に学生相談室で学生の方とコーヒーやフェアトレードに興味があると話したら、たまたまその学生の方が国際協力で有名な先生のゼミ長だったんです。「フェアトレード」とか「国際協力」などのキーワードで授業のシラバスを探していても中央大学くらいしか引っ掛からなかったので、「ここかな」と思いましたね。AO入試で入学したのですが、試験でもコーヒーと途上国問題について考えたいといった内容の小論文を書いて合格しました。
バイトは大学入学当初はAO入試の個別指導塾で働いていましたが、大学1年の夏に中学生の時に職場体験をさせてもらったクルミドコーヒーに戻り、2店舗目の胡桃堂喫茶店で働き始めました。コーヒーを淹れたりブレンドしたり、メニューを考案したり焙煎したり、様々な仕事をさせてもらいました。大学3年のときには、出場者50人くらいの小さなコンテストですが、手煎りコーヒー選手権という大会で全国準優勝もしました!

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ラオスのコーヒー農家さんと
サークルは大学1年の夏からフェアトレードコーヒーサークルでの活動に力を入れており、その年の冬からは団体の代表も務めていました。自分たちで生産地まで行き、栽培状況をみて収穫、農家さんの暮らし体験し、コーヒーをレストランに卸すところまでやるなど、一つのコーヒー屋さんのようなことをしていました。とても楽しかったし、コーヒーの勉強にもなりました。ですがその一方で、同時に国際協力への違和感を覚えました。大2になる前の春休みにJICAのカンボジア事務局でインターンもしたのですが、困っている人を助けるというよりも、現地国のニーズとかに合わせるといったところが、すごく政治的だと感じました。それはそれで大事なことですが、当時の自分がやりたいこととは違うなと感じました。

ずっとお世話になっている影山知明さんと
そんな中、実は僕は大学2年の途中で適応障害になってしまったんです。自分のストレスを溜め込みやすい性格に加えて、代表だった学生団体の組織運営が難しかったこと、社会や国際協力に対する疑問などが原因だったと思います。そしてこれまでの自分の活動内容を見直すとともに、活動する中で感じた自分の悩みを様々な大人に聞いて回りました。その中でクルミドコーヒー店主の影山知明さんのイベントに参加しじっくりお話をしたところ、自分の腑に落ちる回答をしてくださいました。「団体運営で大事なことは何ですか?」という自分の質問に「入り口はとても大事。そして、仕事に人をつけるのではなく、人に仕事をつける」ということを教えてくださいました。僕はこの人についていこうと思い、お願いをして影山さんのカバン持ちインターンをさせていただきました。活動内容はカバン持ちという名の通り、影山さん登壇するのイベントやまちの活動にひたすらくっついていくというもので、様々な経験をさせていただき、良い経験になりました。それと同時にコーヒーを続けたいという気持ちもあったので、焙煎を始めつつ自分の屋号をもってコーヒー屋を出したりしました。1年間で10回くらい出店しましたよ。
大学4年になるときにもう一度影山さんのもとでじっくりインターンをしようと思い、半年間休学することにしました。ちょうどコロナが流行し始めたので、実質社員のような感じで助成金の申請なども行っていました。
ーー「はちマルカレッジ」はどうして始めたのですか?

国分寺の投票率を上げるため、屋号を出しました!
「はちマルカレッジ」は「クルミド大学」というクルミドコーヒーからはじまった学びの場の一つです。「クルミド大学」では学びたい人が集まり、「カレッジ」を形成します。僕が立ち上げた「はちマルカレッジ」では「選挙での投票率80%のまちをつくる」というテーマの下、政治をどうすれば身近にすることができるのか学んできました。
政治に興味を持った最初のきっかけは大学3年のとき、2019年7月の参議院選挙です。クルミドコーヒーのスタッフの一人が内向きに呼びかけ、選挙広報を見ながら政治についてざっくばらんに話そうという会が開かれ、それに参加しました。これまで僕は特に政治について考えたことはありませんでしたが、人と政治のことを楽しく話すことを通じて、政治を面白い!と思うようになりました。そこから市議会に行ったり、自分なりに投票率を分析したりしました。カレッジをつくり政治の面白さをみんなと共有出来たら面白いだろうなと思いましたし、別のスタッフさんや影山さんに勧められましたが、最初は始めようか悩んでいました。そんな中、ちょうどその時に地方に住む友人に会いに行ったのをきっかけに始めることにしました。少し暗い話ですが、久しぶりに会ったその友人は元気がなく、詳しく話を聞くと命を絶つことも考えていたそうです。誰かに相談しようにも周りの大人が信用できない。そんな彼女を見るうちに、自分が相手に対してあまりにも何もできないことに気が付くとともに、社会への違和感が湧いてきて、その子が生きていてよかったと思える社会をつくるチャレンジをしたいと思い去年の2月に、はちマルカレッジを立ち上げました。
ーー現在は何をされているのですか?また、進路はどうされますか?
国分寺市で7月に開催される選挙を盛り上げることに集中しています。(インタビュー時期は6月中旬)はちマルカレッジは7月で終わりますが、先のことはよくわかりません。今は目の前のことで精いっぱいです。政治について話すイベントをたくさんしたり、モバイル屋台を引いて投票所を知らせたり、町の人にインタビューをしたり、記事の寄稿、ホームページの作成など幅広く活動しています。
僕自身、去年9月から復学し、また今年の2月からまだ大学生ですが、クルミドコーヒーの正社員雇用もしてもらっています。卒業後も正社員として働きますし、大学卒業は肩書きが一つ外れるくらいの感覚ですね。
ーーこれまでの人生でやってよかったこと、やっておけばよかったことはありますか?
様々な大人に出会ったことですね。肩書もそうですが生の姿を知れたのは大きいです。肩書すごいのにめちゃくちゃなことしている人もいますが、このあたりの感覚はいろんな人に出会うことで磨かれました。
一方でもっと遊んでおけばよかったなとも思います。これまでは真面目に一直線でやってきましたが、回り道して肩の力抜いても良かったのかもしれません。今の学生さんには焦らなくてよいと伝えたいです。
ーー将来はどんな人生にしたいですか?
名前が「弘樹」なのででっかい「樹」になりたいですね。何かを動かすわけじゃないけれど、その佇まいで希望を与え、木陰に入ることでつらくてもいったん休むことができる。根でコミュニケーションをとり自分がほかの人を応援する、そういった大きな存在になりたいですね。一人一人が大事にされ生きててよかったと思える社会を体現したいです。
ーー最後に、鈴木さんにとって人生とは?
読んで字のごとく、人が生きているということです。生きていればそれでよい、自分自身が生き、他の人も生きる。お互いがいかされあっているということだと思います。

オンラインでインタビューを受けていただきました!
この記事を読んで皆さんはどう感じましたか?
鈴木さんは小学生の時からコーヒーを好み、それが進路選択の大きな決め手となりました。幼少期の臆病な性格から一転、中学3年生の時には自らの意思で海外に飛び立ち、大学生活でも自分の興味のあることに向き合い、自分の選択肢を広げてきました。また、ご自身は心を動かされやすいタイプだからこそ今の活動に取り組めているのかもしれないとおっしゃいます。
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