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ーーーーさまざまな事業で近藤さんが表現するものとはーーーー

ゲストプロフィール

近藤恵(コンドウケイ)
東京都あきる野市出身。基督教独立学園を卒業後、筑波大学に進学する。卒業後、千葉の有機農家で1年の研修を経て、2006年に福島県二本松市で就農する。3年間の兼業時代の後に専業で農業を営むことになったが、2011年に東日本大震災で被災。現在は、(仮称)二本松電力の準備会社:ゴチカン(ご当地電力をみんなで考える株式会社)、営農型発電の発電会社(二本松営農ソーラー㈱)農業法人(㈱Sunshine)、各社の代表取締役。

ーー中学時代までを教えてください

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

幼少期

東京都あきる野市の出身で、4人兄弟の末っ子でした。クリスチャンの家庭で、愛されて育ったなあという印象があります。両親はわりと教育熱心なほうでしたが、習い事はピアノくらいでしたね。

小学校・中学校と公立の学校に通っていて、優等生という感じでした。兄弟みんなそうだったような気がします。唯一、姉だけはやんちゃでした。学校の勉強は結構好きで、特に化学、サイエンスが好きでした。

ーー高校時代について教えてください

高校時代

地元の高校に行こうと思っていたんですが、両親の紹介で独立学園を見学することになり、そこの雰囲気が気に入りました。というのも、中学生のとき、文化祭で校長に「君たちは地域の教育の産物です」と言われて、大人や教育者のために自分がいるのではない、教育される自分たちこそ本位であるべきだと思っていたんですが、独立学園には一人一人の人格を大事にするような空気があり、そうした部分に共感したんですよね。こうして独立学園に進学することを決め、高校から親元を離れて生活をしていました。

独立学園は、朝日連峰、飯豊連峰に挟まれ、冬には3mも雪が降るような地域にありました。高校生だと足がないので、最寄り駅まで徒歩2時間。まさに修道院のような生活をしていました。そうした環境にあったので、高校生のときは友達5人位でパーティを組んで、とにかく山ばかり登っていました。山が青春、という感じでしたね。

こうして2年生くらいまではモラトリアムだったのですが、3年生くらいから進路について考えるようになり、独立学園から推薦入学で入れるところを探した結果、筑波大学の農学部の試験を受けることに決めました。小論文と面接で試験を受けたのですが、それまで全校生徒の前で話をしたり自己表現を磨く経験が多かったので、そうした経験が役に立ったと思います。結果は、無事合格することができました。

ーー大学時代はどうでしたか

 

かなり勉強にうち込みましたね。筑波大学では初めの2年間にリベラルアーツを学ぶ期間があって、医学部の人が農業系の授業を受けられたりと、学際的な勉強ができました。また、課外活動として「有機農業新聞」を作ったりもしていました。親からは、食べるのに困らない程度の仕送りをしてもらっていたので、本当に恵まれていたと思います。

ただ、こうしたなかで、これから職業として農業に関わるか、それとも農業を研究の対象にするのか悩んだ時期がありました。しかし、大学4年生のとき、有機農業を研究している先生のもとに出入りしていたアメリカ人大学院生から、小泉循環農場を営む小泉英政さんを紹介していただいたんです。こうして小泉さんに会ってから、迷わず職業として農業をしていこうと決めました。

当時はものすごい就職氷河期で、「やりたいことが見つかっても就職できない」という状況でした。周りにはキャリアアップに興味があるような人も多かったのですが、農業系に進むにしろ林業系に進むにしろ、現場を知らないとなあと思っていましたね。自分の立身出世や給料のことばかり話している人が農業政策なんかできるのかと思っていました。

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ーー卒業後について教えてください

小泉循環農場 堆肥の切り返し

卒業後は、まず紹介された小泉循環農場に就職し、1年3カ月修行を積みました。給料はアルバイトよりも低く、親には「せっかく国立大学をでてなぜ農場の下働きなんかするんだ」と反対されましたが、それを押し切っての就職でした。そこは、有機農業で有名な先進的な農場で、200種類を超える作物を作っていました。一般的な農業では大量に使用するビニールを使わないこと、また自分で種子を全部とること、畜産農家からもらってきた堆肥を使わないこと、その3つにこだわって作物の生産に取りくんでいました。

そうして修行を終え、雪山が見えるところで農業をしたいと考えるようになりました。そうしたなか、二本松の大内信一さんから農業を始めないかと声がかかりました。この方は、40年以上その地で有機農業をやってこられた方。始めた当初こそ変人扱いされたそうですが、信念を持って有機農業を営んでこられたそうです。その方のご指導で農業経営に取り組み、お米1h、麦と大豆1h、その他の有機野菜が1hと、3hの専業農家になることができたんです。「足るを知ることが楽しい」という意味の「ちたた農園」という名前をつけました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ちたた農園 ミニカボチャのアーチ

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ちたた農園 収穫の喜び

そうしたなかで起きたのが、東日本大震災、そして福島第一原発の事故でした。ただ、私自身は震災が起きたとき、正直びくともしないだろうと思っていました。米はあったし、作った味噌もあったからです。しかし、誤算がありました。それは、エネルギーがなかったということです。エネルギーがなければ、トラクターもトラックも動かない。「エネルギーを自給できていなかった」ということに気づかされ、愕然としました。さらに、原発事故によって作物が作れなくなった。米を作らなけらば補償金が払われないのにもかかわらず、米を作れば放射性物質が出て、捨てさせられたんです。こうして安全な食べ物が作れるまでの間、家族を養わなければならないという問題にも直面しました。そうしたことから、エネルギーの問題を職業として考えるようになったんです。

そうしてエネルギーとむきあい、現在の営農型発電所の経営に至ります。ここでは、太陽の光を分かち合い、発電と農業を同時に行うソーラーシェアリングを行っていて、エネルギーの自給に加えて、農家の収入の増加や経営の安定化、さらにはCO₂増加や地球温暖化の防止といった効果も期待できます。2021年の9月には、6hの土地に9000枚のパネルを並べた営農型発電所を作ることを予定しているんですよ。

ーー今まで、やってよかったことはありますか?

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

 

体力をつけたことですね。これは、山登りで鍛えられました。農業を職業にするかどうかに関係なく、事業をやるには体力や気力、精神力が大事です。とくに精神力が山登りによって鍛えられました。判断力や準備、チームワークなどもそこで身についたように思いますね。

やっておけば良かったことは、語学、特に英語と、歴史です。まず英語についてですが、しばしば営農型発電の関連の仕事で海外の方とコミュニケーションをとる機会があるんです。もちろん通訳もついてくれますし、困ることはないんですが、やはり自分でコミュニケーションがとりたくて…。やはり、不自由なくやりとりできるだけのレベルの英語力が必要だなと思いますね。

歴史については、「愚者は経験に学び、智者は歴史に学ぶ」といいますよね。経験をたくさんできるという年齢でもないので、歴史に学ぶということが重要だと思っています。

ーー将来の夢はありますか?

現在、二本松の再生可能エネルギーの自給割合は50%ほどなんですね。私自身、二本松がベースにあるので、ここで再生可能エネルギーでの自給率100%を達成し、ゆくゆくは電力を輸出していきたいと思っています。

また、現在発電事業会社と農業法人、二本松電力を経営しているのですが、こうした複合経営を効率よく行っていきたいということもあります。今まで私には専業農家の方が価値が高いと思っていたのですが、なにも規模を大きくすることだけが農ではないと思うようになったんですよね。

ーー読者にむけてアドバイスをお願いします

そんな生意気なことは言えないし、自分は事業でしか表現できないけど、しいて言うなら「一緒に責任を背負っていきましょう」ということかな。アドバイスに代えて、平田オリザさんの芸術文化観光専門職大学での学長式辞での言葉を贈りたいと思います。

「感性を磨くことは重要です。それはとても重要なことです。しかし、感性だけでは、この矛盾に満ちた世界を戦うことはできません

皆さんの感性。皆さんが差別を憎む正しい心が折れそうになるとき、本学で培った理性がかろうじてそれらを支えてくれることを願います。芸術を愛する美しい心、世界中からの観光客をもてなしたいと思う優しい気持ちがくじけそうになるとき、本学で学んだ知性がそれを救ってくれることを願います」

ーー最後に、これからの人生をどのようなものにしたいか、教えてください

弱きを助ける人生にしたいですね。原発事故が起こるなかで、農業者の地位の低さを実感したということがそのきっかけです。また、しぶとく生きていきたいなとも思っています。例えば、竹のざるは「水に浸すことで強くなり、乾燥したときにつぶせばすぐに壊れてしまう」ということがいわれています。この、水に浸すということは人間に置き換えると鍛錬するということになるでしょうか。現在の社会は、いい大学、企業に入れば人生安泰という時代ではなくなっています。自分を磨き続ける、訓練し続けることで、社会を生き抜いてやるぞと思っています。それが、楽しみでもあるんです。

この記事を読んで、みなさんはどう感じましたか。

近藤さんは、震災で感じたエネルギーの重要性を出発点として、それまで生業としてきた農業に加え、エネルギーの問題にも取りくんでこられました。筆者は、近藤さんの「一緒に責任を背負っていきましょう」という言葉に、現場で直接問題に向きあう方にしかない説得力を感じました。

進学、就職と、目の前のことばかり気になってしまいますが、改めて、私たちが考えるべきことは何なのか考えさせられますね。