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ーーーー親が嫌い。友達もいない。そんな斎藤さんが変わったきっかけとはーーーー

ゲストプロフィール

齋藤奨
信州大学農学部3年。山形県生まれ、新潟県育ち。四人兄弟の二番目であったが、兄が知的障害を抱えており、実質的には長男のような立ち位置であった。そのことに対してプレッシャーを感じたり、親に対しても複雑な感情を抱いた青春時代。しかし進学した高校で経験した自然とのふれあい、人との出会いが人格そのものを根本から変えることになる。

ーー中学時代までを教えてください

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

生まれは山形県ですが、新潟県で育ちました。小学生の頃から水泳とミニバスをやっていたので運動が得意で、さらに勉強にも自信がありました。家族の中では四人兄弟の二番目だったのですが、実は長男である兄は知的障害を持っていました。中学生時代以降、このことが原因となり、いくつかの困難が生じます。

まずは心ない冷やかしです。兄と同じ中学校に通っていたため、「知的障害を持っている人の弟」であるということが学校内に知れ渡っており、同級生などから馬鹿にされたりしました。そこで私がとった行動は、こうした冷やかしに対して立ち向かったり、やめるよう説得したりすることではなく、兄を馬鹿にする人たちを「見下す」ということでした。運動も勉強も得意であったので、「兄は確かに知的障害を持っているけど、こいつらは俺よりは下だ」と思うことで自分を納得させるようになっていきました。さらに友達もほとんど作らないようになりました。

もう一つの困難は、親への複雑な感情です。兄は知的障害があったため、本来次男である私は、一家の中では事実上の長男のような立ち位置でした。これは単に自覚しただけではなく、親の言動から、責任ある立場を期待されていると気づいたこともありました。そして私はこの親からの期待を次第にプレッシャーに感じるようになり、なんとなく窮屈な気持ちにさいなまれていました。

ーーそんな齋藤さんに訪れた転機とは何ですか?

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

中学卒業後に進学した基督教独立学園高等学校での生活です。新潟の進学校に行くといった普通の人生を歩むことが嫌だったのですが、ちょうどそのころ父の会社の同僚が出身だというこの学校の存在を知ったので、進学することにしました。そこは、行事として山登りやキャンプをする機会がたくさん設けられている学校でした。また部活動でも畜産部に所属し、牛の世話なども行っていました。こうした学校生活の中で、私は自然とのふれあいに強い幸福感を覚えるようになりました。今大学で農学部に入り、自然について学んでいるのも、高校時代での自然との出会いがきっかけです。

またこの独立学園では、先生・生徒の垣根を越えて、思っていることを何でもいいから話す、そして他人の話を聞くという時間があり、この活動を通じて私はより素直な人間になれたように思います。そして同時に友達や話を聞いてくれる人の存在のありがたみを実感して、中学校以来、他人を見下していた自分を強く反省しました。このように独立学園での日々は、人格そのものも根本的に変えてくれました。私の「本当の人生」のスタートといっても過言ではないかもしれません。

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ーーご両親との関係はどのように変わっていきましたか?

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

結論から言うと今の関係は良好です。しかしここにたどり着くには長い道のりがありました。

高校時代は全寮制の学校だったので、初めて親が身近にいない環境で生活することになるのですが、ここへきて「親が嫌いである」という感情が、自分の意識の中に顕在化したんです。それ以前に親から向けられていた、事実上の長男としての期待、プレッシャーから解放されたことで、これまで自分を縛っていたものは何だったのかがはっきりと理解できました。ですから私はこの期間の自由を謳歌し、親とも真剣に向き合うことをせず、夏休みの帰省でも実家には一泊しかせず、友達がいる場所で遊びまわっていました。

その後高校を卒業しましたが、進路が決まっていなかったので大学入試再受験のために実家で宅浪することになります。相変わらず親と和解はできていなかったのですが、ある日父親のつてで参加した飲み会で出会った大人から、ハッとする言葉をかけられます。それは「親から受けた愛は親に返さなくても、他の誰かに与えることができればそれでいい」ということでした。それまで、親の期待に応えることの息苦しさに悩んでいましたが、恩は返すだけでなく、誰かに受け継ぐという方法もありうるのか、そう思えた言葉でした。

大学に入ってようやく親と本音で話すことができるようになります。きっかけは母親が、私が独立学園に進学してよかったと言ってくれたことでした。本当は親は私の人生を肯定、祝福してくれていたことを知り、親の愛というものを心の底から感じることができました。同時になぜもっと早く気づけなかったのだろうかと反省もしました。こうして、紆余曲折を経て親に対する複雑な感情は完全に克服することができたのです。

ーー大学ではどのようなことをしましたか?

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

とにかく自然の中でたくさんの経験を積みました。大学入学前から沖縄でサトウキビの収穫のアルバイトに行ったり、二年次にはモンゴルに行って手作りの船を作って川を渡ったりしました(失敗に終わりましたが)。

また三年になる前には、スペインに留学するために休学したのですが、残念ながらコロナのせいで行けなかったので、高校時代の友達を誘って四国にお遍路に行きました。この間、60リットルのリュックサックに収まる範囲のもので50日間生活することができたので、人間がいかに余分にものを所有しているのかということを身をもって感じることができました。また道中で出会った四国の人たちの温かみにも触れることができ、かけがえのない経験となりました。

こうした経験を通じて私が感じたことが二つあります。一つはやりたいことがあったら自分から発信して人にお願いしたり、巻き込んだりすることの大切さです。これによって気持ちも人生も豊かになりました。もう一つは自然の中にいると、普段抱えている悩みなど小さく見えるということです。今何かで悩んでいる人はぜひ自然の中に身を置いてみてください。

ーー今後どのような人生を送っていきたいですか?

これまでの人生を振り返ると自然に救われたことがたくさんありました。ですから仕事でもプライベートでも、自然と関わりながら生きていきたいと考えています。森の中で山菜やキノコを採ったりする営みはすごい楽しいことで、私にとってかけがえのないものなんですよね。ですからそういった自然環境を守っていきたいという思いもあります。

またこれまで自分が受けた愛や恩を返したり、ほかの人に与えたりできる人間になりたいとも考えています。これにはいろんな方法があると思います。困っている人を助けるといった直接的な方法もあれば、例えば自分が面白い人生を送ることで、それが誰かしらの印象に残って、「そういえばこんな面白い人いたな~」と思い出してもらえば間接的に人を元気づけたり、励ましたりすることもできると思っています。

ーー最後に齋藤さんにとって大学とは?

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

もちろん学びの場ではあるのですが、私にとっては人脈を広げる場です。というのも、いろんな人と出会っておけば、もし将来自分が何かしらのピンチに陥ってもその人たちに助けを求めれば、死ぬことはないでしょ、と思っているからです。ですから自分から積極的に発信して多くの人とつながることが大切だと思います。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

オンラインでインタビューを受けていただきました!

この記事を読んで、みなさんはどう感じましたか。

齋藤さんは、高校時代に自然の偉大さに気づき、今では自然がアイデンティティであるといっても過言ではないとおっしゃっていました。またこれまで受けてきた恩に対する感謝の念が非常に深い方でしたので、今後もますます自然のため、人のためにご活躍されることと思います。