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ーーーーふるさとを離れた高校生活、山小屋でのバイト、イタリアでのブロンズ像職人の助手、アイルランドでのワーキングホリデー。そこに通底する姿勢とはーーーー

ゲストプロフィール
鈴木滉杜(スズキアキト)
長野県木曽郡出身。現在23歳。中学卒業後は、親戚の紹介から山形県の独立学園に入学。高校卒業後は、山小屋でのバイトや大工の手伝いなどを経験する。その後、高校のつながりでイタリアに来てみないかと声がかかり、5か月ほど助手として働く。また、アイルランドでのワーキングホリデーも経験。現在は東京で週7日の引っ越しバイトをしてお金をためながら、ホームレスの問題などについて自分にできることを模索している。
ーー中学時代までを教えてください

長野県木曽郡出身で、2人兄弟の兄です。生まれは東京なのですが、僕が生まれたタイミングで引っ越したので実質生まれも育ちも長野の木曽谷ですね。当時、父親が技術専門学校に行くことになって、知り合いの紹介から関東から木曽谷へ移住することになったみたいです。もともと1年ほどの予定だったらしいのですが、結果的に20年ほど住むことになりました。僕自身は、中学校卒業までそこにいたことになります。
木曽谷はいわゆる限界集落のような場所で、当時3軒しか家がありませんでした。昔は5軒ほど家があり、棚田を管理していたのですが、そうした人がいなくなってしまったんです。もともと住んでいた家族は、当時1軒だけでした。また、携帯の電波が入らないような場所だったので、アナログの時代には家からケーブルを伸ばしてテレビをつなげていましたね。
普段は、自転車で山を駆け巡ったり、釣りをしたりきのこを探したりして遊んでいました。毎日のように釣りをしていたのですが、途中で手で捕まえたほうが手っ取り早いということに気づきました(笑)あと、週に1度くらいのペースで和太鼓をしてもいました。
ーー高校時代について教えてください

高校は山形の独立学園というところに行っていました。1学年に25人ほどの少人数の学校でしたが、僕からしてみれば「絶対名前覚えられないな」みたいな感じでしたね(笑)山形県なんて当時の僕にとって外国のような場所だったので、知り合いに紹介されたときには「そんなとこ行かないよ」と思っていたんですが、とりあえず行くだけ行ってみたらと1泊2日の見学会に連れて行かれたんです。そうして行ってみると、意外とよかったんですよね(笑)夕食の時間のアットホームな雰囲気がすごく好きで。
入試も少し変わっていました。筆記は足し算と引き算みたいなものだったんですが、面接が多く、3回くらいありました。なかでも、校長先生の面接では練習してきたことがまったく通用しなかったので、非常に印象的でしたね。
部活は、米部に所属していて、部長をしていました。文字通り米を作るんです。機械がないので、全部手植えでした。そんなに面積はないんですが、夏場には草も生い茂っていて、本当に大変でしたね。秋にはそれを収穫して全校生徒で食べるんですが、そうすると1週間でなくなるんです。むなしかったですね(笑)でも、めちゃくちゃ楽しかったです。

米部の様子
大学受験にむけた授業を全然しない学校だったこともあって、勉強はほとんどしませんでした。先生によっては教科書をまったく使わなかったり、国語で天気がいいときに外で詩を書いたり、体育では当日に授業の内容をきめたりしていたんですよ。「今日は暑いから水泳!」みたいに。水泳といってもプールはないので、近くの川で泳ぐという感じでしたが(笑)そういう意味では、自由度が高かったと思います。また、私立の学校だったので先生の移動がないんですよね。若い時からずっとここで先生をしていたり、学園を卒業して一度社会に出て、またここで教育に携わりたいと戻ってくる先生がいたり、かなり個性豊かだったと思います。
ーー当時の鈴木さんはどのようなキャラクターでしたか?
爽やか系でしたね(笑)絶対悩まない、みたいな。独立学園が自分の内面とむきあうことを重視する場所で、全寮制だったこともあって悩んでいる人が近くにいるような環境だったのですが、僕には悩むという経験がさっぱりありませんでした。ただ、自分の内面を見つめなおすような環境に身を置いたことで、僕も変わっていったと思います。キリスト教の学校だったので、食事の前に礼拝があったんです。そのときに交代で生徒が閑話を述べるんですが、そこで自分の悩みをさらけだしてみんなの前で話すような雰囲気がありました。当初は「みんなで病んでいるような話をしてどうしたんだ」と思っていたのですが、僕も自分の内面に向きあって自分の悩みを整理して文章化するというプロセスをたどるなかで、自然に自分を理解できるようになってきたことに気づいたんです。それが嬉しくもありました。今もノートを1つもっていて、感じたことや考えたことがあったらしょっちゅうそこに書き留めています。高校での経験で身についた習慣ですね。
ーー卒業生はどのような進路を選ぶ人が多かったですか?
福祉系や、農業系に進む人が多かった印象があります。専門学校を含め大学へ行く人が多かったですね。ただ、かなりの割合で休学したり辞めてしまったりしていました。
でも僕は、大学への進学は考えませんでした。大学へ行ってまで学びたいことがその当時明確になかったんです。将来農業に従事したいという思いはありましたが、それは大学に行かなくたって周りで農業をしている人から学べますし。
ただ、高校卒業後について、あまり明確なビジョンがあったわけではありませんでした。しかし、このころから「ふるさとである木曽で何か面白いことがしたい」という考えを持つようになり、そのゴールのためにさまざまな経験ができたらと思うようになりました。
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ーー卒業後は何をなさっていたのですか?
まず、興味本位で山小屋にいってみて、そこで米炊きをしていました。その後は知り合いに頼まれて大工の仕事の手伝いをしたり、名古屋に行って大根を抜いたりしていました。早い話ずっと遊んでいるんですよ(笑)

イタリアでの展覧会
その後、イタリアに足掛け5か月くらい滞在しました。山形の高校のずっと上の先輩がイタリアで彫刻家をやっていて、その手伝いでした。もともと、高校時代にその人の展覧会の手伝いをしていたのですが、そこでイタリアに来てみないかと誘いをいただいたんです。

アイルランドでの仕事
また、アイルランドにワーキングホリデーのビザで1年以上行っていました。これは完全に遊びだったんですけど、5つくらい農家をまわっていました。

鈴木さんとアイルランドベイビー
そうして、2020年の9月半ばに日本へ帰ってきました。帰ってからは実家にいて仕事を手伝っていたのですが、アイルランドにいたときに直感的に東京に行こうと思っていたので、現在は東京にいます。ずっとホームレスの方や子どもたちと関わりたいと思っていたので、東京ではそうした活動に力をいれたいです。
これは、以前渋谷に行ったときのことなのですが、そこでホームレスになってそれほどたってないような人を見かけたんです。そこで、その人に誰一人見向きもしない状況にくぎ付けになりました。僕もそれを目の当たりにしながら、何もできなかった。そのことに、自分のなかで大きな葛藤が生まれました。ただ、同時に葛藤できるだけの要素が自分にあるということにも気づきました。東京にはこれから1年しかいないので、こうした問題意識に向きあって本気で何かを始めようと思っています。
ーー今までの経験でやってよかったことや、やっておけばよかったことはありますか?
今まで僕は、理由を見つける前に行動するタイプでした。東京に行くときも、その理由を友達に説明するのに苦労するような(笑)ただ、そうして直感的に動くと、動いたなりに様々なものが得られる。なんだかんだ後悔しないんです。僕は大学に行っていないんですけど、仮に大学に行っていてもそれで良かったなと思っていたんじゃないんでしょうか。
やっておけばよかったなと思うことは、あまり思いつかないです。基本的にプラス思考なんですよね。例えば、ホームレスの人に話しかけられなかった経験って、これからずっと頭の中に残っていると思うんですよ。この出来事はマイナスかもしれないけれど、そうして悲しい経験が残ってくれていること自体はプラスだと思うんです。
ーー進路に迷っている人にアドバイスはありますか?
本当に自分が楽しかった、あの時期輝いていたなと思う経験が誰にでもあると思います。僕の場合、音楽と言葉に触れている時間がそれでした。いろいろ考えていると、音楽と言葉が常に好きだったんです。このように、常に好きなものって誰しもが持っているものなのではないかと思います。もし好きなものがあるのなら、それに焦点をあててみたらいいのではないでしょうか。
ーー今後の進路はどうしますか?
最終的には、自分の育ったところに戻ろうかなと思っています。そこは限界集落で、もともと棚田だったところが耕作放棄で荒地になり、価値が下がった土地が余っている状況なんです。ある意味、この土地は使い放題。実際、僕自身そこで農業をしたいですし、友達には馬を飼いたい人や木を切り出したいという人もいます。そうした人たちに自分の実家の近くの土地を提供して、やりたい人がやりたいことをできる環境を作りたいですね。それこそ僕が話したことのあるホームレスの方には、仕事熱心なのにもかかわらず、仕事が得られていない方がいました。そうした方もこの土地に自由に来て働ける場所になるといいなと思います。
ーー鈴木さんの仕事観を教えてください
僕は、基本的に仕事が大好きなんですよね。何の仕事でも、いくらでも楽しめる。楽しめなくなったら、その仕事をする必要はないのかなと思います。
ーー最後に、鈴木さんにとって大学とは?
同世代の人と出会える場所でしょうか。僕自身尊敬する人が多いんですが、そこには年上の方が多いんですね。ただ、尊敬するのとは違って、感銘をうけて「この人すごい、俺もやるぞ」と感化されるのは同世代なんだと思います。そう考えると、大学というのは同世代とつながる本当に貴重な場だと思うんですよね。

オンラインでインタビューを受けていただきました!
この記事を読んで、みなさんはどう感じましたか?
鈴木さんは、高校卒業後、大学に進学せず、「ふるさとのために何かをしたい」という気持ちのもとで直感に従って様々な経験を積んできました。
自分の好きなことをするというとき、大学にいくことすら自明ではありません。自分の好きなものは何か、人生を歩む中で問い直す必要を感じます。
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