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ーーーー日本最高峰の大学で学問に力を入れ、見えてきたものとはーーーー

ゲストプロフィール
一木真(イチキマコト)
北海道穂別町出身。北海道の進学校、札幌南高校を卒業後、東京大学理科Ⅰ類に入学する。3年生からは天文学を専攻し、2021年3月、東京大学理学系研究科天文学専攻博士課程を単位取得退学する。同年4月、IT系の会社に就職し、現在に至る。
ーー中学時代までを教えてください。

北海道の穂別町という、北海道民でもあまり知らないような田舎の町で育ちました。家庭はクリスチャンホームで、20人程度集まるような教会にも通っていました。放課後は、公園やスポーツセンターでお友達と遊んだり、家だとゲームしたり妹とお人形ごっこをしたりしていました。犬を散歩させるのも、僕の日課でした。習い事は、小学生のころからピアノと剣道をやっていました。ピアノは好きで、高校生まで続けました。剣道はそこまでうまくならなかったものの、稽古のおかげで弱かった身体が健康的になりました。勉強面に関しては、小中時代の成績は良く、いつも大体一番でした。だからといって、両親は、「勉強しろ」といってくるような親ではありませんでした。というのも、家で代々語り継がれているトラウマがあるからなんです(笑)少しさかのぼるのですが、曾祖母が、祖父に対してとても教育ママで、詰め込み教育をしたらしいんですよ。そうしたら、東大の試験のときに、祖父の頭の中に曾祖母のこれまでの言葉がよみがえってきて、固まってしまったらしくて…。祖父は東大に受かるだけの実力があると言われていたにもかかわらず、結果は不合格だったそうです。この時の経験から、こどもに勉強を押し付けてはいけないという家風があるんです。しかし、両親は、教育意識はある程度あったため、高校受験に対する意識があまりない田舎でも、高校受験の情報を親に教えてもらっていました。当時は楽器がやりたくて、吹奏楽部が盛んな高校の中でいくつか惹かれていた高校があったのですが、結局は偏差値の高いところに行けるならそっちに行ったらいいかと軽率に考え、札幌南高校に進学しました。
ーー高校時代について教えてください。

高校時代は、とにかく部活が忙しかったですね。吹奏楽部に所属していたのですが、僕は要領が悪かったので、朝練、昼練、帰宅後と練習する時間が増えてしまい、心理的にもいつも部活のことで追われていました。ただ、テスト前は部活が緩くなるので、その時にテスト勉強を頑張るようにしていました。最初は北大などを考えていたのですが、模試を受けるにつれて、東大も射程圏内であると考えるようになりました。東大は入るときに学部選択をしなくてよく、仲のいい友達が東大に行くと言っていたので、東大を受験することに決めました。ちなみに、本当は文系科目のほうが得意で、先生にも「お前は文系だろ」といわれるほどだったのですが、数学などをできないままにしておくのが嫌だったこと、理系のほうが選択肢が広いことから、理系に進むことを決意しました。
ーー大学時代はどうでしたか。

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合唱サークルでオーケストラと合同でミサの曲を歌ったり、キリスト者学生会の代表として聖書を読む会やキャンプなどの活動を行ったり、学童保育・プログラミング教室のアルバイトをしたりしていましたが、やはり一番力を入れたのは学問でした。自分はうぬぼれているところがあったので全ての学問をやろうと思い、唯一高校で勉強していなかった物理をやることにしました。学部選択は、直前まで志望順位をとっかえひっかえするくらい迷ったのですが、結局天文学にすることにしました。たくさんの選択肢の中で、何故天文学にしたのかという理由は、主に三つあります。まず一つ目に、もともと生物学がやりたかったということもあり、生物学と物理学の折衷しているところにある、宇宙生物学という学問に引かれたからです。二つ目に、昔から歴史学が好きだったので、そこから発展して、地球史、宇宙史が好きだったというのがあります。最後に、自分がクリスチャンだということもあってか、「何が真理なのか?」を考えることが好きなのですが、今自分の頭の中で考える論理は無限通り構築できるけど、過去をたどってきたものは唯一であり、過去何があったかを知ることは、何が真理かを考える上で土台になるものだと思い、天文学だけは過去を直接見ることが出来るため、惹かれたというのがあります。
天文学科は9人しかいなかったのですが、全員が修士に進みました。東大は学部時代が短いため、もっと天文学を学びたいという思いがあって、修士に進むことに迷いはありませんでした。しかし、天文学という学問の性質上、観測などで昼夜逆転した生活をすることも多く、修士時代には体を壊してしまって…就活ができる状態でなかったので、そのまま博士課程に進みました。博士課程では、修士時代より元気な状態もあったのですが、昔のような頑張りが効かず、あまり学問に没頭できなかったかなという印象が残っています。今年度から就職しましたが、自分はそこまで社会に適合するのが得意ではないと感じているので、また学問に戻るかもしれません。しかし今は、学問を本業とするのはやめておきたいと思います。学問は好きでとどめておきたいので。
ーー大学生活を振り返ってみてやってよかったこと、やっておけばよかったことはありますか。

まずやっておけばよかったことは、運動ですかね。昔より集中力が低下したように感じていて、過去のほうができたなと思っています。この感覚は、8割は過去の美化に過ぎないと思いますが、2割くらいは本当のことで、やはり体力の低下が集中力低下に繋がっている気がします。脳は体の一部だから、研究をするためにも、健康維持は大切だなと思いました。そのことは、昔の自分に伝えたいですね。
やってよかったのは、勉強ですかね。何が自分にプラスに働くかは分からないところがあると思いますが、頑張れるときに頑張っておいたのは良かったかなと思います。
ーー読者にむけてアドバイスをお願いします。

人や学問、場所でもなんでも自分の中になかったものと出会う瞬間が大事だと思っていて、そうした出会いによって自分の中にある自分でもまだ発見されていないものが、見えるようになってくると思います。そういう体験が多いと、学問だけじゃなく、どんなものも、自分が思っているより深いものを持っているということが分かってくると思います。1つの可能性に絞らず様々なことに挑戦するということはいいことなんじゃないかなと思います。
ーー将来について聞かせてください。
就職先は、手に職をつけられて、つぶしが効きそうなエンジニア職を選びました。宇宙系の仕事につくことも考えたのですが、企業で研究している宇宙のことの多くは、太陽系内に限っていて、僕は太陽系ではなく遠くのものに興味があるため、合わないと思ったというのがあります。また、大学で天文学を長くやって、辛いこともたくさんあり、天文学を嫌いになりかけているので、いったん離れてまた天文学を好きに戻れたらいいなと思っています。仕事に関しては、生計が立てられて、安心して働ければいいなと思います。結婚も考えていないので、給与や地位も上を目指していこうという気持ちはあまりなくて、これまで通り学問を続けていきたいなという思いを持っています。ゆくゆくは、研究したいことを見つけて、研究論文を出せればいいなと思っています。
ーー最後に、一木さんにとって「大学」とは?
他者(人だけでなく場所、学問、コミュニティも)との出会いが豊富にある場だと思っています。大学は、突き詰めてたどり着いたものが集まっていて、本当は簡単に出会えないものが身近に存在する場所だと思いますね。

オンラインでインタビューを受けていただきました!
この記事を読んで、みなさんはどう感じましたか。
一木さんの話の随所でみられた、「何が真理なのか」と考えることは、人生に深みをもたらしてくれるように思いました。他者との出会いが豊富にある大学という場で、様々なことに挑戦し、物事への造詣を深めていきたいですね。
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