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ーーーーかつての不良少年は、今では着物マジシャンとなり旅をするーーーー

ゲストプロフィール

佐藤基(サトウモトキ)
新潟県三条市出身。現在24歳。中学生時代の素行が悪い自分を更生するため、たまたま目に止まった全寮制の独立学園に入学する。高校卒業後は、渡米して北米横断、南米縦断、中米縦断と、大学に在籍しながら旅をする。また、小さい頃から続けていたマジックを路上パフォーマンスとして行い、ドバイやヨーロッパなども回る。現在は帰国して、着物の服装で、屋台を引きながらマジックをして、徒歩で日本縦断をしている。

ーー中学時代までを教えてください。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高校では園芸部だったそうです

新潟県三条市出身で、4人兄弟です。普通の家庭で育ってきたと思いますが、僕が興味のあることはなんでも親は応援してくれ、機会を提供してくれました。兄弟の中で習い事は僕だけたくさんやっていましたね(笑)習字、器械体操、柔道、陸上、水泳、野球と小学生の頃は休む間もなくやっていました。友達がやっていることは自分もやりたいと思う性格だったからです。なんでも興味を持つ性格で、知らないところはどこにでも行ってみたく、テレビで見た観光地に興味を持っては、父親に言って車で連れて行ってもらっていました。

また、僕の人生の中ではマジックというのが一つのトピックスになるのですが、これは小3から始めました。父親がやっていて興味を持ったからです。

中学生になっても相変わらずの好奇心は持っており、当時としてはまだ新しかったYou Tubeも少しやっていました。これで出した動画がバズって当時で500万回再生いったのは、いい思い出です(笑)(動画は現在消されてしまったそうです)
しかし、中学生時代は悪いことも少ししてしまっていました。万引きや喧嘩などです。そうすると警察沙汰になることもあり、警察や学校に親が呼ばれて行くということがしばしばありました。子供心にこれは親に申し訳ないなと思う気持ちがありました。それに加えて自分もこのままではいけないなとも思うようになっていきました。

その時に出会ったのが、独立学園という山形にある全寮制の高校です。この学校に出会ったのは本当に偶然で、ある日父親がお世話になっていた高校の先生の近況を調べていたら、現在は独立学園の校長をしているということがわかり、父親が興味本位でその高校に行くというところに自分も同行したのが、その学校を知ったきっかけでした。行ってみると学園の人はみんな優しく、ここだったら自分も変われそうだと思い、入学を決意しました。

ーー高校生活はどうでしたか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高校時代、マジックで地元テレビに出だ経験があるそうです

高校では部活を2つ立ち上げましたね。1つは中学の頃から好きだった星を見る、宇宙研究部。そしてマジックをやる奇術部というのを作りました。特に披露する場はなかったのですが、僕が友人にマジックを教えるのだけでもとても楽しくてやっていましたね。

高校ではマジックに関するターニングポイントが2つありました。一つは高校2年生の時、海外ボランティアをしたいと思い、インドに1ヶ月一人で行ったことです。今考えればあまり考えが回らなかったですが、当時はボランティアといえば物資を支援することしか思いつかず、なぜか大量のボールペンとフォークを持っていきました(笑)税関で、なんでこんなにフォークを持ってきているんだと怪しまれはしましたが。

インドでは、英語は全く喋れなかったのですが毎日のように路上マジックをやっていました。インドでは日本と違い、路上マジックを始めると3,40人集まってくるんです。僕は、言葉も通じないのにトランプ一つで3,40人集まるということに、マジックの可能性をそこで強く感じました。また、インドに行ったことで海外に対する好奇心もとても沸き、高校卒業したら海外に行こう、と漠然と考えるようになりました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

高校では牛などの畜産も行っていたそうです

2つ目は修学旅行でマジックを披露したことです。修学旅行は山形から北海道までバスで行くのですが、道中で被災地に寄ってボランティアをしました。僕は被災地でマジックを披露したのですが、被災地の方々に本当に感動してもらえたんです。今まではマジックは自己満足で楽しいからやっていただけなのですが、自分のやることが人のためになったと実感できて、とても嬉しかったです。

卒業後の進路はアメリカの大学に行くことにしました。元々はワーキングホリデーでオーストラリアに行こうと思っていたのですが、周りからはアメリカに行ったほうがいいと強く勧められたので、アメリカに行くことにしました。大学には別に行く必要はなかったのですが、学生ビザを取るのがアメリカに長期滞在するのに一番楽だったので、大学に入ったって感じです。

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ーーアメリカでは何をされていましたか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

最初は語学学校に入り英語をしっかり勉強してから、大学に入りました。大学では地理学を主に勉強していましたが、先ほども言ったように大学に行くためにアメリカに来たわけではなかったので、授業には全然出てなかったですね。学校に行くのは週3でいいように履修を組み、残りの4日で旅、マジック、キャンプをひたすらやっていました。
また、長期休みになったらすぐ旅に出ていました。北米横断、南米縦断、中米縦断などアメリカ大陸は制覇しましたね。好奇心が止まらず、いきたいとこに行くという感じで進めていました。

そうしてアメリカに来てから3年半くらい経った時、ふとドバイに行こうと思い立ちます。ドバイで路上マジックをやったら一攫千金できるんじゃないかと思ったからです(笑)すぐ休学届を出して、思い立った1ヶ月後にはもうドバイに行っていました。

しかし、行ってから衝撃の事実が判明するのですが、なんとドバイでは路上パフォーマンスが禁止されていたんです。せっかく休学してドバイまで来たのに、何してるんだろうと落ち込みましたが、そうしててもしょうがないので、SNSでドバイにいる日本人の社長に手当たり次第連絡を取りまくることにしました。マジシャンとして雇ってもらえるんじゃないかと思ったので。そうこうしてなんとか雇ってもらえる人を見つけることができました。

その人からは、ドバイで開かれる万博のような催し物の日本人のブースでマジックをやらないか、という話をもらったのですが、その時給を聞いてびっくりしました。僕はてっきりドバイだから、時給も相当いいのだろうと思っていたのですが、聞いてみると200円とのことでした。流石にこれはやっていられないなと思い、この話は断ってビザの関係もあったので、ドバイを出てヨーロッパに行くことにしました。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

ヨーロッパではロンドンやパリで路上マジックをやったりしていましたが、お金はあまり稼げなかったし、やっていてもあまり楽しくなかったです。次第にお金も尽きてきたので、そろそろ働かないといけないと思い、フランスの山奥でベビーシッターをしたり、スペインのオリーブ畑で働いたりしていました。しかし、この頃にはドバイでマジシャンになるという夢が断たれししまっていたこともあるし、今はマジックではなくなぜかベビーシッターをやっているということもあって、自分のやりたいことや夢というものを見失っていました

この頃にはヨーロッパにダラダラともう5ヶ月くらいいて、このままではやばいなと思ってきたので、一旦日本に戻りまたマジックをやっていくことにしました。歌舞伎町や銀座でマジシャンとして働いていました。

そうした中でコロナが流行り始めました。決まっていた仕事や営業先の仕事も全部なくなってしまいました。なので、どうせならこの時期に面白いことを始めたいなと思い、着物でマジックしてたら面白いんじゃね、と思い着物マジシャンとしてやって行くことにしました。路上で着物マジシャンとしてパフォーマンスしていると、お客さんにウケたので、着物を着て北海道から沖縄までマジックをしながら歩いて旅をしようと計画することにしました。それも屋台をひいてやろうと思っています。屋台があることで、路上マジックではできないテーブルマジックをやることができますし、何よりこんなことやっている人世界でもいないんじゃないですかね!

なので大学は休学中ではありますね。やりたいことがあるので、卒業しないかもしれないですね(笑)

ーー大学生活を振り返ってみて、やっておけばよかったこと、やっておいてよかったことはありますか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

やってよかったことはやりたいことは全部やってきたこと、誘われたことは断らずになんでもやったことです。それによっていろいろなものを知り、触れることができました。

やっておけばよかったことは、勉強はありますね。勉強というもの自体を拒絶していたところはあって、授業も真面目に受けていなかったですが、勉強を通して世界を広げるということもやっておけばよかったとは思います。

ーー読者に何かアドバイスはありますか。

やりたいことがあるなら、それを最優先でやることをお勧めします。逆にやりたいことがまだ見つかってないなら、海外に行ってみてはどうでしょうか。海外に行くということは、全く何にもわからない環境で生きるということで、生きる力が身につくと思いますし、やりたいことが見つかる可能性も高いと思います。

ーー進路はどうされますか。

音楽サークルのライブでギターを弾くスミスさん。観客のいるライブに出演するほどの腕前だそう。

直近で言えば、先ほども言ったように屋台でマジックをしながら日本縦断ですね。ですが、将来的には貧困地域に学校を作りたいと思っています。インドでマジックをした時には、集まってくる人の人数にはもちろん驚いたのですが、マジックを見せた後、子供たちにお金をせがまれたことにはもっと驚きました。「え!俺がお金払うの!?」って(笑)僕の見せるマジックを純粋に楽しんでほしい、純粋に楽しんでもらうために、貧困の子供を少しでも減らしたい、という思いから学校を作れたらと思っています。その学校の子供達に僕のマジックを見せて、楽しんでもらえたらそれが何より嬉しいです

自分が納得できる生き方で楽しい人生にしつつ、マジックを見た人が幸せになってほしいと思っています。

ーー最後に、佐藤さんにとって「大学」とは?

僕にとって大学とは、学生ビザを取るための場所でした(笑)アメリカに長期滞在するためにはそれが一番手っ取り早かったので。こんな答えで大丈夫でしょうか?(笑)

オンラインでインタビューを受けていただきました!

この記事を読んで、みなさんはどう感じましたか。

佐藤さんは、高校生の時にインドに行ったことをきっかけに、将来は海外に行くことを夢見て、実際にアメリカの大学に行きました。また、現在は大学を休学して、マジックという自身のやりたいことを行っています。

▼着物マジシャンとして日本縦断をされる佐藤さんのYou Tubeチャンネルはこちら▼