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ーーーー「ありきたりすぎる」医学部にウンザリして、私は学外に出たーーーー

ゲストプロフィール
高野彩佳(タカノアヤカ)
群馬大学医学部医学科4年。横浜生まれ横浜育ち。「トビタテ!留学JAPAN」制度を利用したオランダ留学など、これまで短期・長期合わせて5度の留学経験がある。働く人の健康、個人のポテンシャルを引き出せる組織に興味があり、現在大学を休学して産業医療系のベンチャー企業でフルタイムインターンを終了。新たなインターン先で働くことを控えている。
ーー中学時代までを教えてください。
横浜市で生まれ横浜市で育ちました。親が共働きかつ一人っ子で、ずっとピアノをやっていました。公立小学校では初めうまく周りに馴染むことができず保健室登校をしていました。
当時はよくわかりませんでしたが、今考えてみるとそれまで一人っ子ということもあり小さなコミュニティで愛されて育ってきていて、いきなり大きめの小学校という新しい環境のギャップに戸惑ったのだと思います。ただ、学校にあまりいけない時期も通信教育や教員免許を持つ母親の助けもあり勉強はちゃんとやっていました。
小学校のある時、クラスで唯一100点を取ったことで周りからも一目置かれ、自分も自信を持つことができるようになりました。それまでは「学校に来れない弱い子」だったんですが、勉強ならできるかも!と思えたんです。
ただ、中学受験はしませんでした。周りに受験する子は多かったのですが、「みんながしているから」という理由ではうちの親は塾通いはさせてくれませんでしたね。結局地元の市立中学に進みました。
今はアクティブだねとよく言われますが、中学までは全然そんなことありませんでした。勉強にもそこまで自信はなかったのですが、高校受験のために塾には行って勉強し始めたら楽しくハマっていきました。それまではピアノの先生になりたかったのですが、模試などを受け始めると、今まで自分に縁遠い世界だと思っていた難関校などが視野に入り始め、それなら医者にもなれるのではないか!と思い始めました。ちなみになぜこの時医者が浮かんでいたのかはわかりません(笑)5歳の時ぜんそくで入院したからですかね。
ーー中学まではおとなしかったのですね。高校では何が変わったのでしょうか。

高校では、様々な自主的な学習に加え、行事(特に文化祭)に本気で取り組んでいたそうです
高校では天文部と競技かるた部に入っていました。
学芸大付属高校に通っていたのですが、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)という制度があり、被災地訪問など企画に積極的に参加していました。また、フィリピンへの語学留学もしました。
この高校は文化祭などにとても力を入れる学校で半分くらいが浪人するんです。進学校ではあるけどガリ勉集団ではなかったので、色々やっていても浮くことはなかったんですよね。
SSHの活動に加え、自分の興味から東大の日本史の授業に参加したりもしていました。
ただ、もともと新しい物好きで、知らないものを知るのが好きな性格だったので、高校の何かで自分が変わったというよりは、高校に入ってチャンスが増えたから自分の行動範囲が増えたというような気がします。
中学の頃からチャンスがあったら、その時からアクティブに動いていたかも知れません。
チャンスをつかみ、行動をしていたらさらにチャンスが見つかるようになった、というような感覚です。アクティブになればなるほどよりアクティブになるというような構図なんじゃないですかね。
ーー医学部はどうして志望するようになったのですか。

勉強量が足りていなかったため、普通周りが予備で受ける推薦入試に全力を注ぐという戦略を取り、合格を勝ち取ったそうです!
日本史の授業に加え、幼少期のうまくなじめなかった経験から子供の心というものに興味があり、文系科目が得意なこともあって最初心理学を専攻しようと思っていたんです。
その中で児童心理学を勉強している学芸大学院生が、付属校ということもあり高校にワークショップをしにきてくれたことがあったのですが、授業の最後に「まあ結局はケースバイケースですけどね」と言われたことが引っ掛かりまして。自分はこういう個人に寄り添うスタイルというよりは、もっと物事を理論に基づいて論理的に考えていきたいなと思い、では理系の精神科を志望しようということで医学部受験を決意しました。
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ーー大学生活を教えてください。

とにかく時間を無駄にしたくない!という一心で、精力的に様々な活動を行っていました
結論から言うと、めっちゃつまらなかったんです。
1年生のころの授業が専門分野を扱わず基礎だけを学習することもそうだったのですが、入学して最初のオリエンテーションで教授が話した「自分のためではなく患者とその患者のために人生を捧げなさい」という言葉に全く共感ができなかったんです。私は私のためにしか今のところ生きていない!と思って。その言葉に違和感を覚えず、かつ体育会系的で縦社会文化が強い雰囲気も自分にはかなり厳しかったですね。
結果、学外に出ようとします。JASCAという組織をエンパワーメントするのが目的の2000人規模のイベントの手伝いをしたり、数々の国に留学したりしました。オーストラリアに1ヶ月、台湾に3週間、アメリカに3週間、オランダに3ヶ月です。
オランダ留学がきっかけで、休学を考えるようになりました。
「働く人の幸せ」をテーマに留学をしたんです。労働時間が短いのに一人当たりGDPがオランダは高いため、日本と何が違うんだろう?ということがテーマでした。
出した結論としては、多くのオランダ人は自分が幸せになれるかで進路を考えている、ということです。職業威信が高いから医者になるとかはなく、自分が興味があるから医者になる。無いならならない。大学に興味がないなら行かない、というような感じで、自分の中に物差しがある人が多いんですよね。
これに触れて、自分はこれができていないな、と感じたんです。自分も一般的な日本人同様、自分の幸せじゃなくて世間体を気にして進路選択してきたな、と痛感しました。

留学を通じて、人や組織、働き方についての興味がますます湧き、インターン先で「産業医」という存在について知ることになります
自分は何やってたんだろう、もっとやりたいことをすべきだし好きだと思うことをさがしていくべきだよな、と感じましたね。働き方や人、組織への興味がますます湧き、医学部の授業にもうんざりしていたため、結局休学して医療系のベンチャー企業でインターンを始めました。
そこで働いている人たちのブログからとても楽しそうな雰囲気が伝わってきたからです。
あと、キラキラしている人と一緒に働けば自分もキラキラと楽しい生活を送れると思っていました。
実際には、夢を持っている人がキラキラしているのではなく、目の前のことを全力をやっている人がキラキラしているのだというように考え方が変わりました。自分も目の前のことを全力でやってキラキラしようと思い、とりあえず目の前の医学部の勉強をちゃんとやろうと思い直しました。
4月からは復学しますが、新しいインターンも始めます。あとは、京都の禅寺で1ヶ月ほど修行してきます!今まで自分について中長期的な視点があまりなかったと感じるので、自己内省する時間にしようと思っています。
ーー大学生活を振り返ってみて、何か反省はありますか。

大きな反省はあまりないかなという感じです。
あの時、休学の決断をしてよかったなと思います。休学をしたからこそ逆にやりたくなかった医学部の勉強もやりたいと自分から思えるようになるきっかけを得られたし、世界が広がったと思います。
ただ、1年の最初で医学部のコミュニティに絶望してすぐ学外に出たわけですが、最近そういった境遇をnoteに投稿したら思わぬ反響(多くの共感)があり、案外みんな同じ思いを持っていたのかもしれない、あの時あんなにすぐ諦めないで、仲間を探そうとしてもよかったかもしれないとは思っています。
ーー進路に悩む学生に対し、何かアドバイスはありますか。
私からは大したアドバイスはできないので、代わりに印象に残っている吉田松陰の言葉を引用します。
「志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思い煩うな
目先の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ」
今までは「有名な大学」とか「年収の高い職業」という理由で進路を選択したりしていたけど、それでは立派になれないなと最近考えます。これまでやってきたことに脈絡はありませんでしたが、振り返ればいろいろ今の自分の役に立っていると感じます。「時間を無駄にしたくない」という気持ちでがむしゃらに行動し続けたおかげかなと感じています。
ーー進路はどうされますか。
今は一応医者になろうと思っています。
一年前はあまり思っていなかったのですが、休学してインターンを通してやっぱり医者になろうかな、と戻ってきていますね。人や組織、働き方に興味が湧いており、人々が幸せに働くことで仕事のパフォーマンスも上がると考えています。それを実現できる産業医になりたいです。
ーー最後に、高野さんにとって「大学」とは?
既存の価値観を壊せた場所です。
「いい医者になれよ!」という価値観が非常に強い環境にいたことで、逆にそれに反発して自分の中にあった色々な固定概念を壊すことにつながった気がします。

オンラインでインタビューを受けていただきました!
皆さんはこの記事を呼んでどう感じましたか?
子供の心を扱うために、精神科になるために医学部に入った高野さんは、医学部の雰囲気が合わず学外に目を向けます。興味が移り変わる中でも学生団体や留学、インターンなど積極的に実践に移し、さまざなな学びを得てきました。その結果、医者を目指そうという考えに再び戻り、医学部の勉強をまた始めようと考えるようになったことは非常に興味深いです。
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